Nやドバケルなどは助かっただろう。オセロのごとき人物を断頭台にのぼらせることはなくなるだろう。
それにまた、誤解のないようにしてほしいことには、この死刑の問題は日に日に成熟している。やがては社会全体がわれわれと同様にそれを解決するだろう。
もっとも頑迷な刑法学者らにも留意してもらいたいことには、一世紀このかた死刑は漸次減退している。死刑はほとんど穏和になっている。それは老衰のきざしであり、衰弱のきざしであり、やがて死滅するしるしである。責め道具はなくなった。刑車はなくなった。首吊柱はなくなった。ふしぎなことではあるが、断頭台そのものも一つの進歩である。
断頭台創案者ギヨタン氏は仁者である。
実際、恐ろしい歯をそなえて、ファリナッキやヴーグランを、ドランクルやイザーク・ロアゼルを、オペードやマショーをむさぼり食う、恐ろしい正義の神テミスも、健康が衰えてき、痩《や》せ細っている。もう死にかけている。
はやすでにグレーヴの刑場もそれをきらっている。名誉を回復しようとしている。この古い吸血婆たるグレーヴは、七月革命の折には品行をつつしんだ。それ以来彼女はよい生活を望み、最後のみごとな行いを涜《けが》すまいとしている。三世紀前からあらゆる死刑台に身を売った彼女も、羞恥心を覚えて以前の商売を恥じている。いやしい名前をなくしたいと思っている。死刑執行人をこばみ、敷石を洗っている。
現在では、死刑はもうパリの外に出ている。しかるに、ここに言っておきたいことには、パリから出ることは文明から出ることである。
あらゆる兆候はわれわれに味方する。あの忌《い》むべき機械、なおよくいえば、ギヨタンにとってはちょうどピグマリオンに対するガラテアのようなものであるあの木と鉄との怪物も、落胆し渋面しているようである。ある点から見れば、上に述べた恐ろしい処刑も喜ばしいきざしである。断頭台は躊躇《ちゅうちょ》している。切りそこなうまでになっている。死刑の古い機械は全部調子が狂っている。
けがらわしいその機械はフランスから立ち去るだろう。われわれはそれを期待する。もしよろしくば、われわれのきびしい打撃を受けて、足をひきずりながら立ち去るだろう。
そして他の土地へ行って、ある野蛮な民衆のところへ行って、優遇を求めるがよい。トルコへでもない。トルコは文明の風に浴している。未開の民へでもない。
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