アよ、どちらに向いても無辜の者をやっつける。
 その男を、家族をもってるその罪人を、保管してみるがいい。彼は監獄のなかで家族のためになお働くことができるだろう。しかし墓の下からではどうして家族を生かすことができよう。その小さな男の子たちが、その小さな女の子たちが父親を奪われてどうなってゆくか、言い換えればパンを奪われてどうなってゆくか、それを考えておののかないでいられるか。諸君はその子供たちをめざして、男のほうは徒刑場に、女のほうは魔窟に、十五年もたったら備えつけるつもりででもいるのか。おお、憐れな無辜の者たちよ!
 植民地では、死刑の判決で一人の奴隷が殺される時、その奴隷の所有者へ千フランの賠償金が出される。ああ諸君は主人の損害をあがなって、家族へはなんらの賠償もしない。この場合にもまた諸君は、本当の所有者から一人の男を奪ってるのではないか。彼は奴隷が主人に対するのよりもはるかに神聖な名目で、その父親の所有物であり、妻の財産であり、子供たちのものであるではないか。
 われわれはすでに諸君の法律を殺害だと認定した。そしてここにまた窃盗だと認定する。
 もう一つのことを言おう。その男の魂、それを考えてみるがいい。その魂がどういう状態にあるか、諸君は知っているか。諸君はあえてそれをかく軽率に追いはらおうとするのか。昔は少なくとも、ある信仰が民衆のなかに流布していた。最期のまぎわに、空中に漂っている宗教的息吹がもっともかたくなな者をもやわらげることができた。受刑人はまた同時に悔悛者だった。社会が彼に一つの世界を閉ざす時、宗教は彼に他の世界を開いてくれた。どの魂も神を覚えた。死刑台は天の国境にすぎなかった。しかし、民衆の多くが信仰を失っている今日、諸君は死刑台の上にいかなる希望をおいてくれているか。昔はおそらく諸大陸を発見したろうが今は港に朽ちている古船のように、あらゆる宗教はかびに腐食されている。今は小さな子供たちも神をあざけっている。いかなる権利で諸君は、受刑人の薄暗い魂を、ヴォルテールやピゴー・ルブランがこしらえあげたままの魂を、諸君自身も信じかねている何物かのなかに投げこむのか。諸君はそれらの魂を監獄の教誨師《きょうかいし》に引きわたす。それはむろん立派な老人ではあろうが、しかし自ら信仰をもっているか、そして人に信仰をもたせうるか。彼はその崇高な仕事を一つの賦役とし
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