る。すべてそれらの名目は、美辞麗句であり空太鼓《からだいこ》であり空言《そらごと》である。そのふくらみは針でひと突きすれば縮んでしまう。その描かぶりの饒舌《じょうぜつ》の下にあるものは、冷酷、残忍、野蛮、職務熱心を示そうとの欲望、俸給を得るの必要、などばかりである。不徳官吏ども、口をつぐむがいい。裁判官のもの静かな足の下に死刑執行人の爪がのぞいている。
非道な検事はいったいどういうものであるかと考える時、人はなかなか冷静ではいられない。それは他人を死刑台に送ることによって生活している人間である。本官の刑場用達人である。そのうえ、文章や文学にうぬぼれをもってる一個の紳士で、弁舌が巧みであり、あるいは弁舌が巧みだと自ら思っており、死を結論する前にラテン語の詩を一、二行必要に応じて暗唱し、効果を与えることにつとめ、他人の生命が賭けられてる事柄に、みじめなるかな、自分の自負心だけを問題とし、特別な模範を、およびもつかない典型を、その古典ともいうべき人物をもっていて、某詩人がラシーヌを目ざしあるいはボアローを目ざすように、ベラールとかマルシャンジとかいう目標をもっている。弁論では断頭台のほうをねらい、それが彼の役目であり本職である。彼の論告は彼の文学的作品であって、彼はそれに比喩の花を咲かせ、引照の香りをつけ、聴衆を感心させ婦人を喜ばせるものとなさなければならない。彼は優雅な口調とか凝《こ》った趣味とか精練された文体などという、田舎にとってはまだごく新しいくだらないものをたくさん持っている。彼はドリーユ一派の悲壮詩人らとほとんど同じほど適宜な言葉をきらう。彼が事物をその本来の名前で呼ぶ気づかいはない。ばかなこと! むき出しにすればいやになるような観念をすべて、彼はすっかり付加形容の言葉で仮装させる。サンソン氏をも見栄《みば》えよくする。肉切り庖丁を紗の布で包む。跳ね板に色をぼかす。赤い籠を婉曲な言いかたでごまかす。それが何のことだかもうわからないほどになる。穏やかな上品なものとなる。彼が夜分書斎で、六週間後には一つの死刑台を建てさせるべき長広舌をゆっくりとできるかぎり推敲しているところを、想像してみるがいい。法典のもっとも痛ましい箇条に一被告の頭をはめこもうとして汗水流している彼を、眼前に描きだしてみるがいい。粗製の法律で一人のみじめな男の首を鋸挽《のこぎりび》きしている
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