た。
 マリユスは一言も発し得なかった。ジャン・ヴァルジャンは言い添えた。「ありがとう。」
 コゼットは肩掛けをぬぎ捨て、帽子を寝台の上に投げやった。
「邪魔だわ。」と彼女は言った。
 そして老人の膝《ひざ》の上にすわりながら、得も言えぬやさしい手つきで彼の白髪を払いのけ、その額に脣《くち》づけをした。
 ジャン・ヴァルジャンは惘然《ぼうぜん》として、されるままになっていた。
 コゼットはただ漠然《ばくぜん》としか事情を了解していなかったが、あたかもマリユスの負い目を払ってやりたいと思ってるかのように、いっそう親愛の度を強めていた。
 ジャン・ヴァルジャンは口ごもりながら言った。
「人間というものは実に愚かなものです。私はもう彼女に会えないと思っていました。考えてもごらんなさい、ポンメルシーさん、ちょうどあなたがはいってこられる時、私はこう自分で言っていました。万事終わった、そこに彼女の小さな長衣がある、私はみじめな男だ、もうコゼットにも会えないのだ、と私はそんなことを、あなたが階段を上ってこられる時言っていました。実に私はばかではありませんか。それほど人間はばかなものです。しかしそれ
前へ 次へ
全618ページ中595ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
ユゴー ヴィクトル の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング