大部分は、下流の方の最後の橋下に移さねばならなかった。
 弁と疏通堰《そつうせき》とを備えて吸い取りまた吐き出す二重管の装置は、人の肺臓のように簡単な初歩の疏水の方法であって、既にイギリスの多くの村では充分に行なわれてることであるが、それを設けるだけでも、フランスにおいて、田野の清水を都市に導き都市の肥沃な水を田野に送るには充分であろう。そしてごく簡単で容易なその交換は今日捨てられつつある五億の金を回収するであろう。しかるに人はまるで別なことを考えている。
 現在の方法は、よくするつもりでかえって悪いことをしている。意向はよいが、結果は哀れである。都市を清潔にするつもりで、実は住民を萎靡《いび》さしている。下水道は誤った考えである。取るものをまた戻すという二重の働きをする疏水工事が、ただ洗い清めるだけでかえって貧弱ならしむる下水道の代わりに、いたる所に設けらるるならば、その時こそ、新しい社会経済の効果と相伴って、土地の産物は十倍にもなり、貧苦の問題は著しく軽減されるだろう。その上に寄食の排除をもってすれば、問題はまったく解決されるだろう。
 しかしそれまでは、公衆の富は川に流れ去り、漏
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