の声も瀕死《ひんし》のうめきも警鐘の響きも耳にせず、五月であればすべてをよく思い、紅色と金色との雲が頭上にたなびく限りは満足だと称し、星の光と小鳥の歌とのつきるまでは幸福であるべく定められている。
 輝いたる暗黒なる人々である。彼らは自らあわれむべき者であるとは夢にも思わない。しかし彼らはまさしくあわれむべき者らである。涙を流さぬ者は目が見えない。眉《まゆ》の下に両眼を持たず額の中央に一個の星を持っている[#「一個の星を持っている」は底本では「一個の星を持つている」]、夜と昼とで同時にできてる者を、あわれみかつ賛嘆し得るとするならば、彼らこそあわれみかつ賛嘆すべき者らである。
 それら思想家の無関心は、ある者の説によれば、高遠なる哲理から来るものであるという。あるいはそうであるとしても、しかしその高遠さのうちには不具なる点がある。人は不死であるとともに跛足《びっこ》であり得る。神ヴルカヌスはその例である。人は人間以上であるとともに人間以下であり得る。自然のうちには広大なる不完全さも存する。太陽が盲目でないか否かをだれが知ろうぞ。
 しからばおよそ何を信頼すべきであるか。太陽は虐偽なりと
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