れた。砲兵は何の命令も受けないのでなお発射を続けていたから、その霰弾《さんだん》をも受けたのである。大胆無謀なファンニコは、霰弾にたおれたひとりだった。彼は大砲すなわち秩序から殺されたのである。
その激しいというよりむしろ狂乱的な攻撃は、アンジョーラを激昂《げっこう》さした。彼は言った。
「ばか野郎! 下らないことに、部下を殺し、俺《おれ》たちに弾薬を使わせやがる。」
アンジョーラは暴動の真の将帥だったが、言葉もそれにふさわしかった。反軍と鎮定軍とは同等の武器で戦ってるのではない。反軍の方は早く力を失いやすいものであって、発射する弾薬にも限りがあり、犠牲にする戦士にも限りがある。一つの弾薬盒《だんやくごう》が空になり、ひとりの戦士がたおれても、もはやそれを補充すべき道はない。しかるに鎮定軍の方には、軍隊が控えて人員には限りがなく、ヴァンセンヌ兵機局が控えていて弾薬には限りがない。鎮定軍には、防寨の人員と同数ほどの連隊があり、防寨の弾薬嚢と同数ほどの兵器廠がある。それゆえ常に一をもって百に当たるの戦いであって、もし革命が突然現われて戦いの天使の炎の剣を秤《はかり》の一方に投ずることでもない限りは、防寨《ぼうさい》はついに粉砕さるるにきまっている。しかし一度革命となれば、すべてが立ち上がり、街路の舗石《しきいし》は沸き立ち、人民の角面堡《かくめんほう》は至る所に築かれ、パリーはおごそかに震い立ち、天意的なもの[#「天意的なもの」に傍点]が現われきたり、八月十日([#ここから割り注]一七九二年[#ここで割り注終わり])は空中に漂い、七月二十九日([#ここから割り注]一八三〇年[#ここで割り注終わり])は空中に漂い、驚くべき光が現われ、うち開いてる武力の顎《おとがい》はたじろぎ、獅子《しし》のごとき軍隊は、予言者フランスがつっ立って泰然と構えているのを、眼前に見るに至るのである。
十三 過ぎゆく光
一つの防寨を守る混沌《こんとん》たる感情と情熱とのうちには、あらゆるものがこもっている。勇気があり、青春があり、名誉の意気があり、熱誠があり、理想があり、確信があり、賭博者《とばくしゃ》の熱があり、また特に間歇的《かんけつてき》な希望がある。
この一時の希望の漠然《ばくぜん》たる震えの一つが、最も意外な時に、シャンヴルリーの防寨を突然|過《よ》ぎった。
「耳
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