「僕は、」と彼は言った、「バグラシオン夫人もダンブレー氏も知りません。まだどちらの家にも足をふみ入れたことはかつてありません。」
 その答えは無愛想だった。それでもなお男は慇懃《いんぎん》に言い続けた。
「ではお目にかかりましたのは、シャトーブリアン氏のお宅でしたでしょう。私はシャトーブリアン氏をよく存じております。なかなか愛想のよいお方です。どうだテナル、いっしょに一杯やろうか、などと時々申されます。」
 マリユスの顔はますます険しくなった。
「僕はまだシャトーブリアン氏の宅に招かれたことはありません。つまらないことはぬきにしましょう。結局どういう用ですか。」
 男はいっそうきびしくなったその声の前に、いっそう低く頭を下げた。
「閣下、まあどうかお聞き下さい。アメリカのパナマに近い地方にジョヤという村がございます。村と申しましても、家は一軒きりございません。堅い煉瓦作りの[#「煉瓦作りの」は底本では「練瓦作りの」]四階建てになっている大きな四角な家でありまして、その四角の各辺が五百尺もあり、各階は下の階より十二尺ほど引っ込んで、それだけがぐるりと平屋根になっています。中央が中庭で、食料や武器が納められています。窓はなくてみな銃眼になり、戸はなくてみな梯子《はしご》になっています。すなわち地面から二階の平屋根へ上れる梯子、次は二階から三階へ、三階から四階へとなっていまして、また中庭におりられる梯子もあります。室《へや》には扉《とびら》がなくてみな揚げ戸になり、階段がなくてみな梯子になっています。晩になると、揚げ戸をしめ、梯子を引き上げ、トロンブロン銃やカラビン銃を銃眼に備えます。内へはいることは到底できません。昼間は住家で、夜は要塞《ようさい》で、住民は八百人というのがその村のありさまでございます。なぜそんなに用心をするかと申せば、ごく危険な地方だからであります。食人人種がたくさんおります。ではなぜそんな所へ行くかと言いますれば、実に素敵な土地でありまして、黄金が出るからであります。」
「結局どういうことになるんですか。」と失望から性急に変わってマリユスは話をさえぎった。
「こういうことでございます、閣下。私はもう疲れはてた古い外交官であります。古い文明のために力を使い果たしてしまいました。それで一つ野蛮な仕事をやってみようと思っているのでございます。」
「だか
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