た。白い動物にふさわしいいかにもゆったりした威風だった。
「シーニュ([#ここから割り注]白鳥[#ここで割り注終わり])にはシーニュ([#ここから割り注]合い図[#ここで割り注終わり])がわかる。」と市民はその頓知《とんち》を得意そうに言った。
その時、遠くの騒擾の響きはまた急に高まった。こんどはすごいように聞こえてきた。同じく一陣の風にも特にはっきりと意味を語るものがある。その時吹いてきた風は、太鼓のとどろきや鬨《とき》の声や一隊の兵の銃火の音や警鐘と大砲との沈痛な応答の響きなどを、はっきりと伝えていた。それとちょうど一致して、一団の黒雲がにわかに太陽を蔽うた。
白鳥はまだ菓子パンに達していなかった。
「帰ろう。」と父は言った。「テュイルリーの宮殿が攻撃されてる。」
彼はまた子供の手を取った。それから言い添えた。
「テュイルリーとリュクサンブールとは、皇族と貴族との間ぐらいしか離れていない。間は遠くない。鉄砲の弾が雨のように飛んでくるかも知れない。」
彼は空の雲をながめた。
「そしてまた本当の雨も降りそうだ。空までいっしょになってる。ブランシュ・カデットは([#ここから割り注]若い枝は――ブールボン分家は[#ここで割り注終わり])挫《くじ》かれる。早く帰ろう。」
「白鳥がお菓子を食べる所が見たいなあ。」と子供は言った。
父は答えた。
「そうしては不用心だ。」
そして彼は自分の小さな市民を連れていった。
子供は白鳥の方を残り惜しがって、五目形の植え込みの角《かど》に池が隠れるまで、その方を振り返ってながめた。
そのうちに、白鳥と同時にふたりの浮浪の子供が菓子パンに近寄ってきた。菓子は水の上に浮いていた。弟の方は菓子をながめ、兄の方は去ってゆく市民をながめていた。
父と子とは入りくんだ道をたどって、マダム街の方へ通ずる段をなした木の茂みにはいっていった。
彼らの姿が見えなくなると、すぐに兄は、丸みをもった池の縁に腹ばいになり、左手でそこにしがみつきながら、ほとんど水に落ちそうになるほど身を乗り出し、右手を伸ばしてその杖を菓子の方へ差し出した。白鳥は競争者を見て急いだ。しかし急ぎながら胸をつき出したので、小さな漁夫にはそれがかえって仕合わせとなった。水は二羽の白鳥の前に揺れて退いた。そのゆるやかな丸い波紋の一つのために、菓子は静かに子供の杖の方へ押し
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