数であったこの防寨は、立憲議会と民衆の大権と普通選挙と国民と共和とを向こうにまわしたのである。それはマルセイエーズ([#ここから割り注]フランス国歌[#ここで割り注終わり])にいどみかかるカルマニョールの歌([#ここから割り注]革命歌[#ここで割り注終わり])であった。
 狂乱せるしかも勇壮なる挑戦《ちょうせん》であった。なぜなれば、この古い郭外は一個の英雄だからである。
 郭外と角面堡《かくめんほう》とは互いに力を合わしていた。郭外は角面堡の肩にすがり、角面堡は郭外に身をささえていた。広い防寨は、アフリカの諸将軍の戦略をも拉《ひし》ぐ断崖《だんがい》のごとく横たわっていた。その洞窟《どうくつ》、その瘤《こぶ》、その疣《いぼ》、その隆肉などは、言わば顔を顰《しか》めて、硝煙の下に冷笑していた。霰弾《さんだん》は形もなく消えうせ、榴弾《りゅうだん》は埋まり没しのみ込まれ、破裂弾はただ穴を明け得るのみだった。およそ混沌《こんとん》たるものを砲撃しても何の効があろう。戦役の最も荒々しい光景になれていた各連隊も、猪《いのしし》のごとく毛を逆立て山のごとく巨大なその角面堡《かくめんほう》の野獣を、不安な目でながめたのである。
 そこから約四半里ばかり先、シャトー・ドーの近くで大通りに出てるタンプル街の角《かど》で、ダルマーニュという商店の少しつき出た店先から思いきって頭を出してみると、遠くに、運河の向こうに、ベルヴィルの坂道を上ってる街路の中、坂道を上りきった所に、人家の三階の高さに達する不思議な障壁が見られた。それはあたかも左右の軒並みを連ねたがようで、街路を一挙にふさぐために最も高い壁を折り曲げたがようだった。しかしその壁は、実は舗石《しきいし》で築かれていたのである。まっすぐで、規則正しく、冷然として、垂直になっており、定規をあて墨繩《すみなわ》を引き錘鉛《すいえん》をたれて作られたもののようだった。もとよりセメントは用いられていなかったが、しかもローマのある障壁に見らるるように、そのため建築上の強固さは少しも減じていなかった。高さから推してまた奥行も察せられた。上層と地覆《ちふく》とはまったく数学的な平行を保っていた。灰色の表面には所々に、ほとんど目につかないくらいの銃眼の列が黒い糸のように見えていた。各銃眼の間には一定の等しい距離が置かれていた。街路には目の届くかぎ
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