フ一事である。それは神聖なる祖国の土地の問題ではないが、聖なる思想の問題である。祖国はおそらく嘆くであろう、しかし人類は賛美するであろう。それにまた、真に祖国は嘆くであろうか。フランスは血を流す、しかし自由はほほえむのである。そして自由の微笑の前には、フランスはおのれの傷を忘れるものである。また、更に高い見地よりこれを見る時には、内乱を何と言うべきであろうか。
 内乱? それはいったい何の意味であるか。外乱というものが存在するか。すべて人間間のあらゆる戦争は、皆同胞間の戦いではないか。戦いはただその目的によってのみ区別さるべきである。世には外乱もなく内乱もない。ただ不正の戦いと正義の戦いとがあるのみである。人類全体の大協約が締結さるる日までは、戦争は、少なくともおくれたる過去に対抗する進んだる未来の努力たる戦争は、おそらく必要であろう。この戦いに何の難ずべき点があるか。戦いが恥ずべきものとなり、剣が匕首《あいくち》となるのは、ただ、権利と進歩と道理と文明と真理とを刺す時においてのみである。その時こそ、内乱もしくは外乱は不正なものとなり、罪悪と呼ばるべきものとなる。けれども正義という聖な
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