く。それからやがて四月となった。それは夏の微光であり、あらゆる曙光《しょこう》のごとく新鮮で、あらゆる小児のごとく快活である。また赤児であるために時には少し涙にぬれることもある。四月における自然には魅力ある輝きがあって、それが空から雲から樹木から草原からまた花から、人の心に伝わってくる。
コゼットはまだ年若くて、彼女自身に似たこの四月の喜びに浸された。自分で気づかぬうちにしだいに暗黒は彼女の精神から去っていった。春になると、ま昼に窖《あなぐら》が明るくなるように、悲しめる人の魂も明るくなる。コゼットはもうひどく悲しんではいなかった。その上自らそれをよく意識してもいなかった。朝十時ごろ朝食の後に、父を説きつけてしばらくの間表庭に出て、そのけがした腕をささえてやりながら、日光を浴びつつ踏段の前を連れ回る時、彼女は絶えずほほえんで心楽しくしてることを、自ら少しも気づいていなかった。
ジャン・ヴァルジャンは恍惚《こうこつ》として、彼女が再び色麗わしくあざやかになってくるのを見守った。
「実に有り難い傷だ!」と彼は低く繰り返した。
そして彼はかえってテナルディエ一家の者らに感謝した。
傷
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