三〇年は、既に一六八八年にイギリスにおいて適用されたこの理論を実行した。
 一八三〇年は、中途にして止まった革命である。半端《はんぱ》の進歩であり、準の正義である。しかしながら理論は「ほとんど」ということを認めない、あたかも太陽が蝋燭《ろうそく》の光を認めないと同様に。
 およそ革命を中途にして止めさせるものはだれであるか? 中流民である。
 なぜであるか?
 中流民とは満足の域に達してる利益にほかならないからである。昨日は欲望を有していた、今日ははや満ち足っている、明日は既に飽満するであろう。
 ナポレオンの後一八一四年に起こった現象は、シャール十世の後一八三〇年に再び現われた。
 中流民を社会の一階級となさんとしたのは誤りである。中流民とは単に民衆のうちの満足してる部分にすぎない。中流民とは今や腰をおろす暇を持ってる者を言う。椅子《いす》は一つの門族を作るものではない。
 しかしあまりに早く腰をおろそうと欲するために、人類の進行をも止めさせることがある。それがしばしば中流民の誤りであった。
 けれど一つの誤りをなすからと言って一階級を作るものではない。利己心は社会の部門の一つを作り
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