[とルイ十五世広場とを通り、リヴォリ街にはいった。そこではまだ、商店は開いており、拱廊《きょうろう》の下にはガス灯がともってい、女らは店で買い物をし、レーテル珈琲《コーヒー》店では[#「レーテル珈琲《コーヒー》店では」は底本では「レーテル珈琲店《コーヒー》では」]客が氷菓子を食べ、イギリス菓子屋では人々が小さな菓子を食っていた。ただ四、五の駅馬車がプランス旅館やムーリス旅館から大駆けで出発していた。
 マリユスはドゥロルム通路からサン・トノレ街へはいった。そこでは、商店は閉ざされ、商人らは半ば開いた扉《とびら》の前で話し合ってい、人通りはまず絶えず、街灯はともり、二階から上の窓はすべて平素のとおり光がさしていた。パレー・ロアイヤルの広場には騎兵がいた。
 マリユスはサン・トノレ街をたどっていった。パレー・ロアイヤルから遠ざかるに従って、光のさす窓は少なくなり、商店はすっかり閉ざされ、入り口に立って話をしてる者もなく、街路はしだいに暗くなり、同時に群集はしだいに密集していた。というのは、通行人らはもう一つの群集だったからである。群集の中にはだれも口をきいてる者は見当たらなかったが、しかも漠然《ばくぜん》たる深いどよめきが発していた。
 アルブル・セックの噴水のほとりには、幾つもの「集団」ができていた。それは一種陰惨な不動の群れであって、水の流れの中にある石のようにして行ききする人々の間に佇立《ちょりつ》していた。
 プルーヴェール街の入り口では、群集はもう動いていなかった。皆ごく小声で語り合っていて、抵抗力のある太い堅固な緻密《ちみつ》なほとんど貫き難い塊《かたまり》となっていた。そのうちにはもうほとんど黒服も丸帽子も見えなかった。仕事着、労働服、庇帽《ひさしぼう》、剛《こわ》い毛のあるよごれた顔、などばかりだった。その群集は夜の靄《もや》のうちに漠然《ばくぜん》と動揺していた。そのささやきには、身震いをしてるような荒々しい調子があった。ひとりも歩いてる者はなかったが、地の上を踏む足音が聞こえていた。その密集した群れの向こう、ルール街やブルーヴェール街やサン・トノレ街の先の方などには、もう蝋燭《ろうそく》の光のさしてる窓ガラスは一つもなかった。街路には街灯の列が向こうまで寂しく続いていてしかもしだいに数が少なくなっていた。当時の街灯は綱にぶら下がってる赤い大きな星みたいなありさまで、大きな蜘蛛《くも》のような形の影を舗石《しきいし》の上に投じていた。それらの街路にはまったく人影がないでもなかった。叉銃《さじゅう》や、動いてる銃剣や、駐屯《ちゅうとん》している軍隊などが、そこに見えていた。しかし野次馬は一人もそれから先に出ていなかった。そこで交通がとだえていた。そこから群集が終わって、軍隊となっていた。
 マリユスはもはや何らの希望も持たぬ意力をもってつき進んだ。ただ、呼ばれたので行かなければならなかったのである。彼はようやくにして、群集の中を通りぬけ、軍隊の露営地を横ぎり、巡邏《じゅんら》の目をかすめ、哨兵《しょうへい》の目を避けた。一つ回り道をして、ベティジー街にはいり、それから市場町の方へ進んでいった。ブールドンネー街の角《かど》まで行くと、もう街灯は一つもついていなかった。
 群集の地帯を越した後、軍隊の境域を通りすぎたのだった。そして彼はある恐るべきものの中に陥ったような気がした。通行人もなく、兵士もなく、光もない。だれひとりいない。ただ寂寥《せきりょう》と沈黙と暗夜とのみである。言い知れぬ戦慄《せんりつ》が彼を襲った。一つの街路にはいり込むことは、一つの窖《あなぐら》にはいり込むがようだった。
 彼はなお続けて進んでいった。
 数歩行くと、だれかが彼のそばを駆けぬけた。男であったか、女であったか、または数名の者であったか、彼にはわからなかった。ただそのものは、彼のそばを通りぬけて消えうせてしまった。
 ぐるぐる回ってるうちに、彼はポトリー街と思われるある小路のうちに出た。その小路の中ほどで一つの障害物に出会った。手を差し伸ばしてみると、ひっくり返ってる一つの荷車だった。足先で探ると、水たまりや泥濘《どろ》や投げ散らされ積み上げられた舗石《しきいし》などが、感ぜられた。築きかけたまま見捨てられた防寨《ぼうさい》だった。彼はその舗石をまたぎ越して、防寨の向こうに出た。それから標石とすれすれに歩き、人家の壁伝いに進んでいった。防寨から少し先に行った時、前方に何か白い物があるような気がした。近づくと一つの形になった。二頭の白馬だった。午前にボシュエが解き放した乗り合い馬車の馬で、終日街路から街路へとあてもなくさまよい、ついにそこに立ち止まり、人間が天のなすことを了解し得ないように、人間のなすことを了解し得ないで、疲れ切って気長
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