ノついてる大きな槌《つち》を取ってたたいた。扉は開かれなかった。彼は二度たたいた。何の返事もなかった。彼は三度たたいた。やはりしいんとしていた。
「だれかいねえか。」とル・カブュクは叫んだ。
何の動くものもなかった。
その時彼は銃を取って、その床尾で扉をたたき始めた。それは穹窿形《きゅうりゅうけい》の低い狭い丈夫な古い通路門で、全部|樫《かし》の木で造られ、内部には鉄板を張り鉄骨が施されていて、監獄の暗道そっくりだった。銃床尾でたたいても、家は揺れたが扉はびくともしなかった。
けれども、家の者らは心配したと見えて、ついに四階の小さな四角い軒窓に光がさし、それが開き、一本の蝋燭《ろうそく》が現われ、半白の髪をした老人の静かなしかもおびえた顔が現われた。それは門番だった。
ル・カブュクは扉をたたくのをやめた。
「皆さん、」と門番は尋ねた、「何の御用ですか。」
「あけろ。」とル・カブュクは言った。
「それはできません。」
「是非あけろ。」
「なりません。」
ル・カブュクは銃を取って、門番をねらった。しかし彼は下の方にいたし、ごく暗かったので、門番にはその姿が見えなかった。
「さああけるかどうだ。」
「あけられません。」
「あけないというのか。」
「はいあけません、どうか……。」
門番が、その言葉を言い終わらないうちに、銃は発射された。弾は頤《あご》の下から頸静脈《けいどうみゃく》を[#「頸静脈《けいどうみゃく》を」はママ]貫いて首の後ろにぬけた。老人は声も立てずにがくりとなった。蝋燭《ろうそく》は下に落ちて消えた。そしてあとに見えるものは、軒窓の縁にもたれてる動かぬ頭と、屋根の方へ上ってゆく少しのほの白い煙ばかりだった。
「このとおりだ!」とル・カブュクは言いながら、舗石《しきいし》の上に銃の床尾をおろした。
しかしその言葉を言い終わるか終わらないうちに彼は、自分を鷲《わし》づかみにする重い手を肩の上に感じ、また自分に言いかける声を聞いた。
「ひざまずけ。」
振り向いてみると、アンジョーラの白い冷ややかな顔が前にあった。アンジョーラは手にピストルを持っていた。
彼は銃の音を聞いてすぐにやってきたのである。
彼は左手で、ル・カブュクの首筋と上衣とシャツとズボンつりとを一つかみにした。
「ひざまずけ。」と彼はくり返した。
そして厳然たる様子でこのやせた二十歳の青年は、太い頑丈《がんじょう》な人夫を一枝の葦《あし》のようにへし折って、泥の中にひざまずかした。ル・カブュクは抵抗しようとしたが、あたかも人力以上の手につかまれてるがようでどうにもできなかった。
その時、色を変え首をあらわにし髪をふり乱してるアンジョーラには、その女のような顔つきをもってして、何となく古《いにしえ》のテミス([#ここから割り注]訳者注 正義の女神[#ここで割り注終わり])のような趣があった。彼のふくらした小鼻、伏せた目は、そのギリシャ式の厳乎《げんこ》たる横顔に、古人が正義の姿にふさわしいものとした憤怒の表情と清廉の表情とを与えていた。
防寨《ぼうさい》のうちにいた者は皆駆けつけてき、少し遠巻きに居並んで、まさに起こらんとする事柄に対して一言をも発することができないように感じた。
ル・カブュクは取りひしがれて、もうのがれようともせず、ただ全身を震わしていた。アンジョーラは手を放して、時計を取り出した。
「気を落ちつけろ。」と彼は言った。「祈るか考えるかするがいい。一分間の猶予を与えてやる。」
「許して下さい!」と殺害者はつぶやいた。それから頭を下げて、舌の回らぬわめき声を立てた。
アンジョーラは時計を見つめていたが、一分間過ぎるとそれを内隠しに納めた。それから、わめきながらうずくまってるル・カブュクの頭髪をつかみ、その耳にピストルの先をあてがった。最も恐るべき暴挙のうちに平然と加入してきた多くの勇敢な人々も、顔をそむけた。
一発のピストルの音がして、殺害者は額から先に地面の上に倒れた。アンジョーラはすっくと背を伸ばし、信念のこもったいかめしい目つきであたりを見回した。
それから彼は死体を蹴《け》やって言った。
「そいつを外に投げすてろ。」
死にぎわの機械的な最後の痙攣《けいれん》でぴくぴくやってるみじめな男の身体を、三人の男が持ち上げて、小さな防寨《ぼうさい》からモンデトゥール街に投げすてた。
アンジョーラはじっと考え込んでいた。ある壮大な神秘な影が、彼の恐ろしい清朗さの上に静かにひろがっていった。突然彼は声を上げた。人々は静まり返った。
「諸君、」とアンジョーラは言った、「あの男がなしたことは憎むべきものである、僕がなしたことは恐るべきものである。彼は人を殺した、それゆえに僕は彼を殺した。反乱にも規律が必要であるから、僕はそ
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