ソきがしたが、それもごくまれでかつ遠いわずかなものだった。かく長引くのは、政府の方でその間を利用して兵力を集めてるしるしだった。今やこの五十人の者は、六万の兵を待っていたのである。
 アンジョーラは、恐るべき事変のまぎわに強い心の者を襲う一種の焦燥を感じていた。彼はガヴローシュをさがしに行った。ガヴローシュは階下《した》の広間にいて、テーブルの上に散らかってる火薬を用心して勘定台の上に置かれた二本の蝋燭《ろうそく》の弱い光で、弾薬を作っていた。その蝋燭の光は家の外には少しももれていなかった。なお暴徒らは階上ではまったく火をともさないようにしていた。
 ガヴローシュはその時非常に気を取られていた。しかしそれはまさしく弾薬の方へではなかった。
 ビエット街で列に加わってきた男が、下の広間にはいってきて一番薄暗いテーブルの所にすわったのである。彼はりっぱな歩兵銃を手に入れて、それを両膝《りょうひざ》の間に持っていた。ガヴローシュはその時まで、たくさんのおもしろいことに気を取られて、その男には目もつけなかった。
 今男が室《へや》にはいってきた時、ガヴローシュはその銃を感心して機械的に見やった。それから、男が腰をおろした時、ガヴローシュは突然立ち上がった。もしその以前に男の様子をうかがったら、彼が特別の注意をもって防寨《ぼうさい》の中や暴徒らの間を観察してるのが見られたはずである。しかし室の中にはいってきてからは、何か深く考え込んで、もう周囲に行なわれてることを少しも見ないがようだった。浮浪少年はその考えにふけってる男に近寄り、眠ってる者をさますのを恐れでもするように爪先《つまさき》で、そのまわりを歩き始めた。と同時に、厚かましくかつまじめな、軽快でかつ考え深い、快活でかつ鋭い、彼の子供らしい顔には、老人らしい渋面が浮かんだ。それはこういう意味だった。「なあに! ――そんなことがあるもんか――俺《おれ》の見違いだ――夢を見てるんだ――そんなことがあろうか――いやあるはずはない――でもそうだ――いやそうじゃない。云々。」ガヴローシュは踵《かかと》の上に身を揺すり、ポケットの中に両手を握りしめ、小鳥のように首を振り、下脣《したくちびる》をつき出して慧敏《けいびん》らしい脹《ふく》れ面《つら》をした。彼はびっくりし、不安心で、半信半疑で、気迷っていた。その顔つきは、奴隷市《どれいいち》で山出し女どもの中にひとりのヴィーナスを見いだした宦官《かんがん》の長のようでもあり、三文絵の中にラファエロの一枚を掘り出した美術愛好者のようでもあった。物をかぎ分ける本能も、物を考察する知力も、彼のうちのすべてが働いていた。ガヴローシュに一大事が起こったことは明らかだった。
 アンジョーラがやってきたのは、かく彼が最も考えあぐんでる時だった。
「お前は小さくて人目につかないから、」とアンジョーラは言った、「防寨《ぼうさい》から出て、人家に沿って忍んでゆき、方々を少し見回って、どんな様子だか僕に知らしてくれ。」
 ガヴローシュはすっくと身を伸ばした。
「小僧も何かの役には立つんだね。結構だ。行ってこよう。だがね、小僧に安心できても、大僧には安心できねえよ。」
 そしてガヴローシュは、頭を上げ声を低め、ビエット街ではいってきた男を指さしながら言い添えた。
「あの大僧がわかるかい。」
「それがどうした?」
「あいつは回し者だ。」
「確かか。」
「半月ほど前に、俺《おれ》がロアイヤル橋の欄干で涼んでると、耳をつかまえて引きおろした奴《やつ》だ。」
 アンジョーラはすぐに浮浪少年のもとを去り、向こうにいたひとりの酒樽人足《さかだるにんそく》にごく低く数語ささやいた。その労働者は室《へや》から出て行ったが、またすぐに三人の仲間をつれてはいってきた。そしてこの肩幅の広い四人の人夫は、ビエット街からきた男が肱《ひじ》でよりかかってるテーブルの後ろに、気づかれないようにそっと並んだ。彼らは明らかに今にもその男に飛びかかりそうな姿勢を取った。
 その時アンジョーラは、男に近づいていって尋ねた。
「君はだれだ?」
 その突然の問いに、男ははっとして顔を上げた。彼はアンジョーラの澄み切った瞳《ひとみ》の奥をのぞき込んで、その考えを読み取ったらしかった。そして世に最も人を見下げた力強い決然たる微笑を浮かべて、昂然《こうぜん》としたいかめしい調子で答えた。
「わかってる……そのとおりだ!」
「君は間諜《スパイ》なのか。」
「政府の役人だ。」
「名前は?」
「ジャヴェル。」
 アンジョーラは四人の者に合い図をした。するとたちまちのうちに、振り返る間もなくジャヴェルは、首筋をつかまれ、投げ倒され、縛り上げられ、身体を検査された。
 彼は二枚のガラスの間に糊付《のりづ》けにされた小さな丸いカ
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