ェこれをうっちゃるなあ惜しいな。女がふたりで、後ろの中庭に爺《じい》さんがいるだけだ。窓の布《きれ》も悪かあねえ。爺さんは猶太人《ジュウ》かも知れねえ。うめえ仕事だと思うがな。」
「よし、お前たちははいれ。」とモンパルナスは叫んだ。「やっつけろ。俺《おれ》はここに娘といっしょに残ってらあ。もしあいつが何かしたら……。」
彼は袖《そで》のうちに持っていた開いたナイフを、街灯の光にひらめかした。
テナルディエは一言も口をきかずに、何でも皆の言うとおりに従おうとしてるようだった。
いつも有力な発言者であり、また読者の知るとおり「事件を仕組んだ」発頭人であるブリュジョンは、まだ口を開かなかった。彼は考え込んでるらしかった。彼はいかなることにも逡巡《しりごみ》しないという評判を取っており、また、単に勇気を誇示せんがためのみではあったが、ある時警察署から物を盗んだということも、皆に知られていた。その上彼は、詩を作り、歌をこしらえ、いたく重んぜられていた。
バベは彼に尋ねた。
「お前は何とも言わねえのか、ブリュジョン。」
ブリュジョンはなおしばらく黙っていたが、それから種々なふうに何度も頭を振り、ついに心をきめて言い出した。
「実はね、今朝二匹の雀《すずめ》が喧嘩《けんか》するのに出会ったし、今晩はまた、女の反対にぶっつかった。どうも辻占《つじうらな》いがいけねえ。こりゃやめにしようや。」
それで彼らは立ち去っていった。
そこを去りながらモンパルナスはつぶやいた。
「かまうこたねえ、もし皆がしろって言うなら、俺《おれ》はあいつをやっつけてしまったんだがな。」
バベは彼に答えた。
「俺はいやだね。御婦人に手を下すこたあしたくねえ。」
街路の角《かど》の所で、彼らは立ち止まって、低い声で謎《なぞ》のような対話をかわした。
「今晩どこで寝よう。」
「パリーの下にしよう。」
「テナルディエ、お前、門の鍵《かぎ》は持ってるか。」
「うむ。」
彼らから目を離さなかったエポニーヌは、彼らが出てきた方へまた戻ってゆくのを見た。彼女は立ち上がって、壁や家に沿うて見え隠れにその大通りまでついて行った。がそこで男どもは別々になった。そして彼女は、六人の男が闇《やみ》の中にとけこむように没してしまうのを見た。
五 夜のもの
盗賊らが去った後、プリューメ街は再び夜の静穏な光景に返った。
街路で今起こったことも、森を驚かすことはできなかったのである。大木、蘖《ひこばえ》、灌木《かんぼく》、深く交差した枝、高い草、皆陰惨な存在を保っている。荒々しい群れはそこに、目に見えざるものが突然姿を現わすのを見る。人界以下のものが、靄《もや》を通して、人界の彼方《かなた》のものをそこに見いだす。われわれ生ある者の知らぬ諸々《もろもろ》のものが、夜のうちにそこで互いに顔を合わせる。毛を逆立てた粗野な自然は、超自然的と思われる種々のものが近づくのを感じて狼狽《ろうばい》する。諸々のやみの力は互いに知り合い、互いに不思議な均衡を保っている。牙《きば》や爪《つめ》も、つかみ得《う》べからざるものを恐れる。血をすする獣性、餌物《えもの》をさがす飢えたる貪欲《どんよく》、爪と顎《あご》とをそなえ腹のみがその源であり目的である本能、それらのものは、平然たる幻の姿をおずおずとながめまたかぎまわす。その姿は経帷子《きょうかたびら》に包まれて彷徨《ほうこう》し、おぼろなるうち震う上衣にくるまって直立し、死の世界の恐ろしい生命に生きてるがようである。ただ物質にすぎない獰猛性《どうもうせい》などは、凝って一つの不可解なる者となってる広大なる暗黒を相手にするのを、漠然《ばくぜん》と恐れている。道をふさぐ黒い形は、一挙に野獣の歩みをさえぎり止める。墳墓から出でたる者が、洞窟《どうくつ》から出でたる者を脅かし狼狽《ろうばい》させる。獰猛なるものは凄惨《せいさん》なるものを恐れる。狼《おおかみ》は幽鬼に出会ってあとに退く。
六 マリユスおのれが住所をコゼットに知らす
人間の顔をした番犬が鉄門をまもり、六人の盗賊らがひとりの娘の前から退却していった間、マリユスはコゼットのそばにいた。
かつてこれほど、空は星をちりばめて美しく、樹木はうち震い、草のかおりは濃まやかな時はなかった。かつてこれほど、小鳥はやさしい音を立てて木の葉の間に眠ってることはなかった。かつてこれほど、宇宙の朗らかな諧音《かいおん》は内心の愛の調べによく調子を合わしてることはなかった。かつてこれほど、マリユスは心を奪われ幸福で恍惚《こうこつ》たることはなかった。しかるに彼はコゼットが悲しい様子をしてるのを見て取った。コゼットは泣いたのだった。彼女の目は赤くなっていた。
それはこの楽しい夢の中に
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