ったかに従って、サン・タントアーヌ郭外からは、あるいは野蛮なる集団が現われあるいは勇壮なる徒党が現われた。
 野蛮、この語について少しく弁明したい。革命の渾沌《こんとん》たる開闢《かいびゃく》の時において、ぼろをまとい、怒号し、荒れ回り、玄翁《げんのう》をふり上げ、鶴嘴《つるはし》をふりかざし、狼狽《ろうばい》せる旧パリーに飛びかかって毛髪を逆立てたそれらの者は、およそ何を欲していたのであるか? 圧制の終滅、暴政の終滅、専横の終滅、男子には仕事、子供には教育、婦人には社会の温情、自由、平等、友愛、万人のためにパン、万人のために思想、世界の楽園化、進歩、それを彼らは欲していたのである。そしてその聖なる善なるなつかしいもの、進歩を、彼らは我を忘れて極端まで駆られ、恐ろしき姿をし、半ば裸体で、手に棍棒《こんぼう》をつかみ、口からは咆吼《ほうこう》の声をほとばしらして、要求していたのである。それはまさしく野蛮人だった、しかし文明の野蛮人だったのである。
 彼らは憤激して正義を宣言した。彼らは、たとい戦慄《せんりつ》と恐怖とをもってしてであろうとも、人類をしいて楽園のうちに押し入れることを欲した。彼らは蛮夷《ばんい》であるかのようだったが、実は救済人であった。彼らは暗夜の仮面をつけて光明を要求していた。
 もちろん荒々しく、かつ恐ろしきそれらの男、しかも善のために荒々しくまた恐ろしきそれらの男、それに対立して他の男らがいる。彼らはほほえんでおり、刺繍《ししゅう》の衣をまとい、金銀を光らし、リボンで飾り立て、宝石を鏤《ちりば》め、絹の靴足袋《くつたび》をはき、白い鳥の羽をつけ、黄色い手袋をはめ、漆塗りの靴をうがち、大理石の暖炉のすみでビロードのテーブルに肱《ひじ》をつき、過去の、中世の、いわゆる神聖なる権利の、盲信の、無知の、奴隷制《どれいせい》の、死刑の、戦争の、維持と保存とを静かに主張し、サーベルと火刑場と絞首台とを、低声にまた丁寧に誉めたたえている。しかし吾人をして言わすれば、それらの文明の野蛮人と野蛮の文明人とのいずれかを強いて選ばせらるるならば、吾人は野蛮人の方を取るであろう。
 しかしながら、天はほむべきかな、も一つの選択が可能である。前に進むにも後に退くにも、何ら急転直下の要はない。専制政の要もなく、恐怖政の要もない。吾人は穏やかなる斜面における進歩を欲するのであ
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