「の反抗であり、鎖と檻《おり》とをもって罰すべき咬《か》みつかんとの試みであり、吠《ほ》え声であり、叫び声である。ただしそれも、犬の頭がにわかに大きくなり、獅子《しし》の面貌《めんぼう》となって影のうちにおぼろに浮き出してくる、その日までのことである。
 その日になって中流民は叫ぶ、「民衆万歳!」
 以上の説明を施した後、さて歴史にとって、一八三二年六月の騒動は何であるか? 一つの暴動であるか、または一つの反乱であるか?
 それは一つの反乱である。
 しかしこの恐るべき事変の叙述に当たって、時として吾人は暴動だと言うこともあるであろう、ただしそれも、事実を表面的に形容するために過ぎないので、暴動的形式と反乱的|根蔕《こんたい》との間に常に区別を設けてのことである。
 一八三二年のこの騒動は、その急激な爆発とその悲しい終滅とのうちに、多くの壮大さを持つがゆえに、そこに暴動をしか認めない者らでさえも、それを語るには尊敬の念を禁じ得ないであろう。彼らにとっては、それは一八三〇年([#ここから割り注]七月革命[#ここで割り注終わり])のなごりのようなものである。彼らは言う。想念の動揺は一日にして静まるものではない。一つの革命は一挙にして断ち切らるるものではない。平和の状態に戻る前には必然に多少の波瀾《はらん》が常にあるもので、あたかも山岳から平野におりてゆくようなものである。アルプスの山脈には常にジュラの小脈がついており、ピレネー山脈には常にアステュリーの小脈がついている。
 パリー人の脳裏で暴動の時期[#「暴動の時期」に傍点]と称するところの、現代史中のこの壮烈なる危機は、十九世紀の幾多の騒擾《そうじょう》の時期のうちにおいても、たしかに独特の性質を有する一時期である。
 物語にはいる前になお一言つけ加えたい。
 次に語ろうとする事柄は、劇的な生きたる現実に属するものであるが、時間と場所とが不足なので往々歴史家から等閑に付せられている。けれどもそこには、吾人は主張したい、そこには、人間の生命のあえぎと戦慄《せんりつ》とがある。前に一度述べたと思うが、小さな個々の事柄は、言わば大なる事変の枝葉のごときものであって、歴史の遠方に見えなくなっている。いわゆる暴動の時期[#「暴動の時期」に傍点]には、この種の些事《さじ》が無数にある。裁判上の調査も、歴史とはまた異なった理由から、
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