こともあった。アンコナにおいてはオーストリアに対抗して豪胆であり、スペインにおいてはイギリスに対抗して強情であり、アントワープを砲撃し、プリチャールを弁償し、確信をもってマルセイエーズ(フランス国歌)を高唱した。落胆や倦怠《けんたい》や美と理想との趣味や無謀な寛大や理想郷や空想や憤怒や虚栄や恐怖などを少しも知らなかった。個人的のあらゆる勇敢さをそなえていた。ヴァルミーにては将軍であり、ジュマップにては兵卒であった。([#ここから割り注]訳者注 両地とも一七九二年フランス軍がオーストリア軍を破りし地[#ここで割り注終わり])。八度|弑逆《しいぎゃく》が試みられ、そして常にほほえんでいた。擲弾兵《てきだんへい》のごとく毅然《きぜん》として、思想家のごとく勇壮であった。ただ全ヨーロッパ動揺の機会に対しては不安を覚え、政治的大冒険には不適当であった。常に身を犠牲にするだけの覚悟は持っていたが、決して自分の事業を危うくすることを欲しなかった。国王としてよりも知者として人を従わせるために、好んで自分の意志に感化の仮面を被《き》せた。察知の能力は持たなかったが、観察眼をそなえていた。人の精神にはあまり注意を向けなかったが、人の性格にはよく通じていた、換言すれば、裁かんがために見る必要があったのである。鋭敏な良識と、実際的な怜悧《れいり》さと、軽快な弁舌と、異常な記憶力とを持っていた。絶えずその記憶のうちから物を汲み出すことは、シーザーやアレクサンデルやナポレオンに似ている唯一の点だった。多くの事実や些事《さじ》や日付や固有名詞などを知っていた。しかし、群集の種々の傾向や熱情や才能などを知らず、人の心の内部の熱望や隠れたひそかな高揚などを知らなかった、すなわち一言にして言えば、人の本心の目に見えざる流れとも称すべきものをまったく知らなかった。表層からは受け入れられていたが、下層のフランスとは一致してるところがあまりなかった。それを巧みな才できりぬけていた。あまりに多く統治してはいたが、十分に君臨してはいなかった。その首相は自分自身であった。微小な現実をもって広大な思想の障害たらしむるに巧みだった。文明や秩序や組織の真の創造的能力に一種定規的訴訟的精神を交じえていた。一王朝の創設者であり代弁人であった。多少のシャールマーニュらしいところと多少の代言人らしいところとを持っていた。要する
前へ 次へ
全361ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
ユゴー ヴィクトル の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング