ツの義務となっている。断頭台を互いにさし示しては笑い、種々な綽名《あだな》を浴びせかける。「飯の食い上げ――脹《ふく》れっ面《つら》――天国婆――おしまいの一口――その他。」事がらを少しも見落とすまいとしては、壁をのり越え露台によじ上り、木に登り、鉄門にぶら下がり、煙筒につかまる。浮浪少年は生まれながらの水夫であり、また生まれながらの屋根職人である。いかなる檣《マスト》をも屋根をも恐れはしない。グレーヴの刑場ほどのお祭り騒ぎはどこにも見られない。サンソンとモンテス師とは広く知られてる名前である。処刑囚を励ますために皆呼びかける。時としては賛美することさえある。浮浪少年のラスネールは、恐るべきドータンが勇ましく死に就《つ》くのを見て、行く末を思わせる次の言葉を発した、「うらやましいな[#「うらやましいな」に傍点]。」浮浪少年の仲間には、ヴォルテールのことは知られていないが、パパヴォアーヌのことは知られている。彼らは「政治家」と殺害者とを同じ話のうちに混同してしまう。そういうすべての人々が最後に着た服装を言い伝えている。彼らは知っている、トレロンは火夫の帽子をかぶっていた、アヴリルは川獺《かわうそ》の帽子をかぶっていた、ルーヴェルは丸い帽子をかぶっていた、老ドラポルトは禿頭《はげあたま》で何もかぶっていなかった、カスタンはまっかなきれいな顔をしていた、ボリーはロマンティックな頤髯《あごひげ》をはやしていた、ジャン・マルタンはなおズボンつりをかけていた、ルクーフェは母と言い争った。「ねどこのことをぐずぐず言うなよ[#「ねどこのことをぐずぐず言うなよ」に傍点]、」とひとりの浮浪少年はその二人に叫んだ。またあるひとりはドバッケルが通るのを見ようとしたが、群集の中で自分があまり小さかったので、川岸の街燈柱を見つけてそれに登り初めた。するとそこに立っていた憲兵が眉《まゆ》をしかめた。「登らして下さい、憲兵さん、」と少年は言った。そして彼の心を和らげるためにつけ加えた、「落ちはしませんから。」「落ちようとそんなことはかまわないさ」と憲兵は答えた([#ここから割り注]訳者注 上にある多くの人物はみな重罪によって死刑に処せられし人[#ここで割り注終わり])。
浮浪少年の間では、著名な事件は非常に尊ばれる。深く「骨までも」傷をした者があると、仲間の尊敬の頂上までも上りつめることができる。
拳固《げんこ》を食わせることも、かなり尊敬さるる方法である。浮浪少年が最も好んで言う一事は、「おれはすてきに強いんだぞ、いいか!」ということである。左ききであることは、非常にうらやましがられる。やぶにらみもまた尊敬される。
八 前国王のおもしろき言葉
夏には、彼らは蛙《かえる》に変化する。そして夕方、まさに暮れんとする頃、オーステルリッツ橋やイエナ橋の前で、石炭の筏《いかだ》や洗濯女《せんだくおんな》の小舟などの上から、まっさかさまにセーヌ川に飛び込んで、秩序取り締まりの規則や警察の目をのがれて種々なことをやる。しかるに巡査らは見張りをしている。その結果、まったく劇的光景を演じ、親愛なる記憶すべき叫び声を生んだこともある。一八三〇年ごろ有名だったその叫び声は、仲間から仲間へ通ずる戦略的合い図である。ホメロスの詩のように句格がそろい、パナテネー祭([#ここから割り注]訳者注 ミネルヴ神の祭典[#ここで割り注終わり])におけるエルージアの町の歌にも比ぶべき言葉に尽し難い調子がこもっていて、古代のエヴォエ([#ここから割り注]訳者注 バッカス神をたたえる巫子らの叫び[#ここで割り注終わり])がそこに復活して来るのである。すなわち次のようなものである。「おーい[#「おーい」に傍点]、仲間[#「仲間」に傍点]、おーい[#「おーい」に傍点]! でかだぞ[#「でかだぞ」に傍点]、いぬだぞ[#「いぬだぞ」に傍点]、用意しろ[#「用意しろ」に傍点]、逃げろ[#「逃げろ」に傍点]、下水からだ[#「下水からだ」に傍点]!」
時とするとそれらの蚊どものうちには――彼らは自ら蚊と綽名《あだな》している――字の読める者もいることがあり、また字の書ける者もいることがある。しかし皆いつも楽書きすることは心得ている。いかなる不思議な相互教育によってかわからないが、彼らは皆公の役に立ち得るあらゆる才能を示す。一八一五年から三〇年までは、七面鳥の鳴き声をまねていたが、一八三〇年から四八年までは、壁の上に梨《なし》を書きつけて回っていた([#ここから割り注]訳者注 七面鳥は前の時の国王ルイ十八世の紋章、梨は後の時の国王ルイ・フィリップの紋章[#ここで割り注終わり])。ある夏の夕方、ルイ・フィリップは徒歩で帰ってきたところが、まだ小さな取るに足らぬ浮浪少年のひとりが、ヌイイー宮殿の鉄門の柱に大きな梨を楽書きせんとして、背伸びをし汗を流してるのを見つけた。王は先祖のアンリ四世からうけついできた心よさをもってその少年の手助けをし、ついに梨《なし》を書いてしまって、それから彼にルイ金貨を一つ与えながら言った、「これにも梨がついているよ[#「これにも梨がついているよ」に傍点]。」また浮浪少年は喧騒《けんそう》を好むものである。過激な状態は彼を喜ばせる。彼らはまた「司祭輩」をきらう。ある日ユニヴェルシテ街で、一人の小僧がその六十九番地の家の正門に向かってあかんべーをしていた。通行人が彼に尋ねた、「この門に向かってなぜそんなことをしてるんだ?」すると彼は答えた、「司祭がここに住んでるんだ。」実際そこは、法王の特派公使の住居であった。けれども、彼らのヴォルテール主義([#ここから割り注]訳者注 反教会[#ここで割り注終わり])が何であろうと、もし歌唱の子供となれるような機会がやってくると、それを承諾することもある。そしてそういう場合には、丁重に弥撒《ミサ》の勤めに従う。それから、タンタルス([#ここから割り注]訳者注 永久の飢渇に処せられし神話中の人物[#ここで割り注終わり])のように彼らが望んでいた二つのことがある。彼らはいつもそれを望みながら永久にそれを得ないでいる。すなわち、政府を顛覆《てんぷく》することと、ズボンを仕立て直すこと。
完全なる浮浪少年は、パリーのすべての巡査を知悉《ちしつ》していて、そのひとりに出会えばすぐに名|指《ざ》すことができる。各巡査をくわしく研究している。その平常を調べ上げて、それぞれ特殊な記録をとっている。その心の中を自由に読み取っている。彼らはすらすらと滞りなく言い得る、「某は反逆人だ[#「反逆人だ」に傍点]、――某はごく意地悪だ[#「ごく意地悪だ」に傍点]、――某は偉い[#「偉い」に傍点]奴《やつ》だ[#「だ」に傍点]、――某は滑稽な奴だ[#「滑稽な奴だ」に傍点]。」(これらの、反逆人、意地悪、偉い奴、滑稽な奴、などという言葉は、彼らに言われる時は特殊な意味を有するのである)「あいつは、ポン・ヌーフ橋を自分の物とでも思ってるのか。欄干の外の縁を歩くことを世間に禁じやが[#「やが」に傍点]る。それから向こうのは、人[#「人」に傍点]の耳を引っ張る癖がある。云々《うんぬん》、云々。」
九 ゴールの古き魂
市場の児なるボクランのうちに、またボーマルシェーのうちに、この種の少年の気質があった([#ここから割り注]訳者注 二人とも著述家、次に出て来る人々も同じ[#ここで割り注終わり])。浮浪少年気質はゴール精神の一特色である。それは妥当な常識に交わると時としてそれに力を与える。あたかも葡萄酒《ぶどうしゅ》にアルコールを加えるがごときものである。また時とすると欠点ともなる。ホメロスは無駄口《むだぐち》をたたくと言えるならば、ヴォルテールは浮浪少年気質を発揮すると言うべきであろう。カミーユ・デムーランは郭外人であった。奇蹟をけなしたシャンピオンネはパリーの舗石《しきいし》から出てきた。彼はまだごく小さい時から、サン・ジャン・ド・ボーヴェー会堂やサン・テティエンヌ・デュ・モン会堂などの回廊に侵入して[#「回廊に侵入して」に傍点]いた。そして彼はサント・ジュヌヴィエーヴ会堂の聖櫃《せいひつ》を不作法に取り扱って、サン・ジャンヴィエの聖壺に命令を下していた。
パリーの浮浪少年は、敬意と皮肉と横柄さとを持っている。食を十分に与えられず胃袋が嘆いているので、がつがつした歯を持っている。また機才を持っているので、美しい目をしている。エホバの神がいるとしても、彼らは天国の階段を飛びはねて上ってゆくであろう。彼らは足蹴《あしげ》に強い。彼らはあらゆる方面に成長をなし得る。彼らは溝《どぶ》の中で遊んでいる、けれど騒動があるとすっくと立ち上がる。霰弾《さんだん》の前にもたじろがないほど豪胆である。いたずらっ児だったのが英雄となる。テバン([#ここから割り注]訳者注 偶像を廃棄して惨殺せられし古ローマの一団体[#ここで割り注終わり])の少年のように獅子《しし》の背をもなでるであろう。鼓手のバラ([#ここから割り注]訳者注 大革命の時の勇敢な少年[#ここで割り注終わり])はパリーの一浮浪少年であった。あたかも聖書の戦馬が「ヴァー!」とうなるように、彼らは「前へ!」と叫ぶ、そしてたちまちのうちに小童《こわっぱ》から巨人となる。
この泥中の少年は、また理想中の少年である。モリエールからバラに至るまでのその翼の長さを計ってみるがよい。
要するに、そして一言に概括すれば、浮浪少年とは不幸なるがゆえに嬉戯《きぎ》する一個の人物である。
十 ここにパリーあり、ここに人あり
なおすべてを概説せんには、今日のパリーの浮浪少年《ガマン》は、いにしえのローマのギリシャ人のように、年老いた世界の皺《しわ》を額《ひたい》に有する年少民衆である。
浮浪少年は国民にとって一つの美であり、また同時に一つの病である。なおさなければならない病である。いかにしてなおすか? 光明をもってである。
光明は人を健やかにする。
光明は人を輝かす。
あらゆる社会的の麗しい光輝は、科学、文学、美術、および教育から生ずる。人を作れ、人を作れよ。彼らをして汝に温暖を与えしめんがために、彼らに光を与えよ。いつかは普通教育の光輝ある問題は、絶対的真理の不可抗な権威をもって確立さるるに至るであろう。そしてその時におよんでこそ、フランス精神の監視の下に政事を行なう人々は、次の選択をなさなければならないだろう、すなわちフランスの少年かもしくはパリーの浮浪少年か、光明のうちに燃ゆる炎か、もしくは暗黒のうちにひらめく燐火《りんか》か。
浮浪少年はパリーを表現し、パリーは世界を表現する。
なぜかなれば、パリーは全部であるからである。パリーは人類の天井である。この驚くべき一大都市は、過去現在のあらゆる風習の縮図である。パリーを見るは、所々に天空と星座とを有する全歴史を見通すに等しい。カピトールとしては市庁を、パルテノンとしてはノートル・ダーム寺院を、アヴェンティノの丘としてはサン・タントアーヌの一郭を、アシナリオムとしてはソルボンヌ大学を、パンテオンとしてはパンテオンの殿堂を、ヴィア・サクラとしてはイタリアン大通りを、アテネの風楼としては輿論《よろん》を、パリーはみな有している。そしてゼモニエ([#ここから割り注]訳者注 古ローマにて処刑人の死体を陳列するカピトール山の階段[#ここで割り注終わり])としては嘲弄《ちょうろう》がもって代えている。そのマホー(スペインの伊達者《だてしゃ》)をめかしやと言い、そのトランステヴェレノ(ローマのチベル彼岸の民)を郭外人と言い、そのハンマル(インドの籠舁《かごかき》)を市場人足と言い、そのラツァロネ(ナポリの乞食)を組合盗賊と言い、そのコクニー(ロンドンっ児)を洒落者《しゃれもの》と言う。世界中にあるものは皆パリーにもある。デュマルセーの描いた魚売り女はエウリピデスの草売り女と一対である。円盤投戯者のヴェジャヌスは綱渡り人フォリオゾのうちに復活している。テラポ
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