ワた人々は自由派を「兄弟同士[#「兄弟同士」に傍点]」と綽名《あだな》した。それは侮辱の極度のものであった。
教会堂の鐘楼に鶏形風見があるように、T男爵夫人の客間も二つの勇ましい牡鶏《おんどり》を持っていた。一つはジルノルマン氏で、一つはラモト・ヴァロア伯爵であった。この伯爵のことを人々は一種の敬意をもって互いにささやき合った。「御存じですか[#「御存じですか」に傍点]、あれが首環事件のラモト氏です[#「あれが首環事件のラモト氏です」に傍点]」([#ここから割り注]訳者注 一七八五年ごろラモト伯爵夫人によって惹起せられた有名な首環紛失事件[#ここで割り注終わり])。仲間の間ではそのような特殊な容捨も行なわれるのである。
なおここにちょっと付言する。市民間においては、光栄ある地位はあまりに容易な交際を許す時にはその光を減ずるものである。だれに出入りを許すかを注意しなければいけない。冷たいものが近づく時に温気《うんき》が失われるように、一般に軽蔑されてる人物を近づける時には尊敬が減ずるのである。しかし古い上流社会は、他の法則と同じくこの法則をも意に介しなかった。ポンパドゥール夫人の兄弟
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