ヨこまし、神秘を愚弄《ぐろう》し、幽霊をばかにし、架空をうち倒し、浮誇を滑稽化《こっけいか》する。それは彼らが散文的だからでは決してない。反対に彼らは、荘重な幻影を道化《どうけ》た幻と変えるまでである。もしアダマストール([#ここから割り注]訳者注 ヴァスコ・ダ・ガマの前につっ立ったという喜望峰を守っている巨人[#ここで割り注終わり])が彼らに現われたとしても、彼らは言うであろう、「おやあ、案山子《かがし》めが!」
四 その有用な点
パリーは弥次馬《やじうま》に初まり、浮浪少年に終わる。この二つは他のいずれの都市にも見られないものである。一つはただながめるだけで満足する消極的なものであり、一つは進取的に限りない手段をめぐらす。プリュドンムとフーイユーとである([#ここから割り注]訳者注 無能尋常の典型と悪戯発明の典型[#ここで割り注終わり])。パリーのみがこの二つをその博物誌のうちに持っている。各王政は弥次馬のうちにあり、各無政府は浮浪少年のうちにある。
パリーの場末のこの青白い子供は、困苦の中に、社会の現実と人間の事がらとの前に考え深く目を開きながら、生活し生長し、
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