_]、いやになっちまう[#「いやになっちまう」に傍点]、まだ六階から落っこった者を見ないんだからな[#「まだ六階から落っこった者を見ないんだからな」に傍点]!」(この言葉は彼ら特有の発音で言われたのである)。
確かに次のようなのは田舎者《いなかもの》式のみごとな言葉である。「父《とっつ》あん、お前のお上さんは病気で死んだじゃないか。なぜお前は医者を呼びにやらなかったんだ?」「何を言わっしゃるだ、わしら貧乏人はな、人手を借りねえで死にますだ[#「人手を借りねえで死にますだ」に傍点]。」ところでもし田舎者の消極的な愚弄《ぐろう》が右の言葉のうちにこもってるとするならば、郭外の小僧の無政府的な自由思想は、確かに左の言葉のうちにこもってるであろう。すなわち、死刑囚が馬車の中で教誨師《きょうかいし》の言葉に耳を傾けていると、パリーの子供は叫ぶ。「あいつ牧師めと話をしてやがる[#「あいつ牧師めと話をしてやがる」に傍点]、卑怯《ひきょう》者だな[#「者だな」に傍点]!」
宗教上のことに対するある大胆さは、浮浪少年を高めるものである。唯我独尊ということが大事である。
死刑執行に立ち会うことは、一
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