たに。」
 少年は既に向こうに行っていた。
「しッしッ。」と彼は言った。「やはり犬には違いないや。」
 婆さんは息もつまらんばかりに腹を立てて、すっかり立ち上がった。目尻の皺《しわ》と口角とがいっしょになってる角張った皺だらけの蒼白《そうはく》な顔を、街灯の赤い光が正面から照らした。身体は影の中に隠れて、頭だけしか見えなかった。暗夜のうちから一条の光で切り取られた「老耄《おいぼれ》」そのものの面かと思われた。少年はそれをじろじろながめた。
「お上《かみ》さんも美しいがね、俺の気に入るたちのものじゃあないや。」と彼は言った。
 彼はまた歩き出して、歌い初めた。

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クードサボ王様(どた靴王様《ぐつおうさま》)
狩りに行かれぬ、
烏の狩りに……
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 そう三句歌った後、彼は口をつぐんだ。彼は五十・五十二番地の家の前にきていた。そして戸がしまってるのを見て、足で蹴《け》り初めた。その大きな激しい音は、彼の少年の足よりもむしろ、その足にはいてる大人《おとな》の靴を示していた。
 そのうちに、プティー・バンキエ街の角《かど》で出会った先刻の婆さんが、叫び声を立て大層な身振りをして、後ろから駆けつけてきた。
「どうしたんだね。どうしたんだね。まあ、戸が破れるじゃないか。家《うち》をこわしでもするのかい。」
 少年はやはり蹴り続けた。
 婆さんは喉《のど》を張り裂かんばかりに叫んだ。
「おい、人の家をそんなにしてもいいものかね。」
 と突然彼女は言葉を切った。先刻の浮浪少年であることに気づいたのである。
「おや、今の餓鬼だよ。」
「おや、お婆さんか。」と少年は言った。「こんちは、ビュルゴンミューシュ婆さん。俺《おれ》はちょっと御先祖様に会いにきたんだ。」
 婆さんは老衰と醜さとをよく利用して即座にしたたか憎しみを現わす変なしかめっ面をしたが、それは不幸にも暗やみの中なので見えなかった、そして答えた。
「もうだれもいないよ、おばかさん。」
「へえー。」と少年は言った。「じゃあ親父《おやじ》はどこにいるんだい。」
「フォルス監獄だよ。」
「おやあ! じゃあ母親《おふくろ》は?」
「サン・ラザール懲治監だよ。」
「なるほど! それから姉たちは?」
「マドロンネット拘禁所だよ。」
 少年は耳の後ろをかいて、ビュルゴン婆さんをながめた、そして言った。
「ほうー。」
 それから彼は回れ右をして立ち去った。戸口に立っていた婆さんは、それからすぐに、冬の寒風に震えてる黒い楡《にれ》の並み木の下を、歌を歌いながら遠ざかってゆく少年の朗らかな若い声を聞いた。

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クードサボ王様
狩りに行かれぬ、
烏の狩りに、
お輿《こし》は竹馬。
下をくぐらば
二スー取られぬ。
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底本:「レ・ミゼラブル(二)」岩波文庫、岩波書店
   1987(昭和62)年4月16日改版第1刷発行
   「レ・ミゼラブル(三)」岩波文庫、岩波書店
   1987(昭和62)年5月18日改版第1刷発行
※「ジョンドレットの女房が」の段落は、底本では天付きになっています。
※誤植の確認に「レ・ミゼラブル(四)」岩波文庫、岩波書店1959(昭和34)年6月10日第12刷を用いました。
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2007年1月16日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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