。そしてひそかに到来しつつある二つの事がらを思いやった、一方から歩を進めつつある罪悪と他方からきつつある法権とを。彼は恐れてはいなかった、しかしまさに起こらんとする事を考えてはある戦慄《せんりつ》を禁じ得なかった。意外のできごとに突然襲われた人がよく感ずるように彼にもその一日はまったく夢のように思われた。そして何か悪夢につかれてるのでないことを確かめるために、彼はズボンの隠しの中で鋼鉄の二梃のピストルの冷ややかさに手を触れてみなければならなかった。
雪はもうやんでいた。月はしだいに冴《さ》えてきて靄《もや》から脱し、その光は地に積った雪の白い反映と交じって、室《へや》の中に暁のような明るみを与えた。
ジョンドレットの室の中には明りがあった。マリユスは壁の穴が血のように赤い光に輝いてるのを見た。
その光はどうしても蝋燭《ろうそく》のものらしくは思えなかった。そしてまたジョンドレットの室の中には、何ら動くものもなく、だれも身動きもせず口もきかず、呼吸の音さえ聞こえず、氷のような深い沈黙に満たされていて、もしその光がなかったら、墓場かとも思われるほどだった。
マリユスは静かに靴《くつ》をぬいで、それを寝台の下に押し込んだ。
数分過ぎ去った。マリユスは表の戸がぎーと開く音を聞いた。重い早い足音が階段を上ってき、廊下を通っていって、それから隣の室《へや》の掛け金が音高くはずされた。それはジョンドレットが帰ってきたのだった。
すぐに多くの声が聞こえ出した。一家の者は皆室の中にいた。ちょうど狼《おおかみ》の子が親狼の不在中黙ってるように、一家の者は主人の不在中黙っていたまでである。
「俺《おれ》だ。」と主人は言った。
「お帰んなさい。」と娘らは変な声を立てた。
「どうだったね?」と母親は言った。
「この上なしだ。」とジョンドレットは答えた。「だがばかに足が冷てえ。うむ、なるほどお前はうまくおめかしをしたな。向こうに安心させなけりゃいけねえからな。」
「すっかり出かけるばかりだよ。」
「言っといた事を忘れちゃいけねえ。うまくやるんだぜ。」
「大丈夫だよ。」
「と言うのはな……。」とジョンドレットは言いかけて、皆まで言わずにしまった。
マリユスは彼が何か重いものをテーブルの上に置く音を聞いた。たぶん買ってきた鑿《のみ》ででもあったろう。
「ところで、」とジョンドレットは言った、「みな何か食ったか。」
「ああ、」と母親は言った、「大きい馬鈴薯《じゃがいも》を三つと塩を少し。ちょうど火があるから焼いたんだよ。」
「よし、」とジョンドレットは言った、「明日《あす》はごちそうを食いに連れてってやる。家鴨《あひる》の料理とそれからいろいろなものがついてさ、まるでシャール十世の御殿の晩餐《ばんさん》のようにな。すっかりよくなるんだ。」
それから声を低めて彼はつけ加えた。
「鼠罠《ねずみわな》の口はあいてるし、猫《ねこ》どもももうきている。」
そしてなおいっそう声を低めてまた言った。
「それを火の中に入れて置け。」
マリユスは火箸《ひばし》かまたは何か鉄器で炭をかき回す音を聞いた。ジョンドレットは続けて言った。
「音のしねえように扉《とびら》の肱金《ひじがね》には蝋《ろう》を引いて置いたか。」
「ああ。」と母親は答えた。
「今何時だ。」
「もうすぐに六時だろう。サン・メダールでさっき半《はん》が打ったんだから。」
「よし。」とジョンドレットは言った。「娘どもは見張りをしなくちゃいけねえ。おい、ふたりともこっちへきてよく聞きな。」
しばらく何かささやく声がした。
ジョンドレットはまた高い声をあげた。
「ビュルゴン婆さんは出て行ったか。」
「ああ。」と母親は言った。
「隣にもだれもいねえんだな。」
「一日留守だったよ、それに今は食事の時分じゃないか。」
「確かだね。」
「確かだよ。」
「まあとにかく、」とジョンドレットは言った、「いるかどうか見に行ったってさしつかえねえ。おい娘、蝋燭《ろうそく》を持って見てきな。」
マリユスは四つばいになって、こっそり寝台の下にはいり込んだ。
彼が隠れ終わるか終わらないうちに、すぐ扉《とびら》のすき間から光が見えた。
「お父さん、」という声がした、「出かけてるよ。」
それは姉娘の声だった。
「中にはいったのか。」と父親が尋ねた。
「いいえ、」と娘は答えた、「でも鍵《かぎ》が扉についてるから、きっと出かけたんだよ。」
父親は叫んだ。
「でもまあはいってみろ。」
扉が開いた。マリユスはジョンドレットの姉娘が手に蝋燭を持ってはいって来るのを見た。その様子は朝と少しも変わっていなかったが、ただ蝋燭の光で見るといっそう恐ろしく見えた。
彼女は寝台の方へまっすぐに進んできた。マリユスはその間言葉にもつくし
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