っている。そしてそれも単に個人を現わすのみではなく、その種類を代表しているものである。それらの名前は各、文明の下層に生ずる醜い菌の各種類に相当するものである。
これらの者は、めったに顔を明るみにさらすことをしないので、往来で普通行き会うような人のうちにはいなかった。昼になると、夜の荒々しい仕事に疲れて眠りに行った。あるいは石灰窯《せきたんがま》[#ルビの「せきたんがま」はママ]の中に、あるいはモンマルトルやモンルージュのすたれた石坑の中に、時としては下水道の中に。彼らは地の中にもぐり込んでいた。
その後そういう者らはどうなったか? 彼らはやはり存在している。彼らは常に存在していたのである。ホラチウスもその事を語っている、「娼婦[#「娼婦」に傍点]、薬売[#「薬売」に傍点]、乞食[#「乞食」に傍点]、道化役者[#「道化役者」に傍点]。」そして社会が現状のままである間は、彼らもやはり現状のままでいるだろう。その窖《あなぐら》の薄暗い天井の下に、彼らは絶えず社会の下漏《したもれ》から生まれ出て来る。常に同じような妖怪となって現われて来る。ただ彼らの名前と外皮とのみが異なるばかりである。
個人は消滅するが、その種族は存続する。
彼らは常に同じ能力を持っている。乞食《こじき》から浮浪人に至るまで、種族はその純一性を保っている。彼らはポケットの中の金入れを察知し、内隠しの中の時計をかぎつける。金や銀は彼らに一種のにおいを放つ。また盗まれたそうな様子をしている人のいい市民もいる。そういう市民を彼らは根気よくつけ回す。外国人や田舎者《いなかもの》が通るのを見れば、彼らは蜘蛛《くも》のように身を震わす。
ま夜中の頃、人なき街路で、彼らに出会いまたはその影を見る時、人は慄然《りつぜん》とする。彼らは人間とは思われない。生ある靄《もや》でできてるかのような姿をしている。あたかも彼らは常に闇《やみ》と一体をなしており、やみと見分けがつかず、影以外に何らの魂をも持たないかのようである。そして彼らが夜陰から脱け出してくるのはただ一瞬時の間のみであって、しばし恐るべき生命に生きんがためのみであるかのように思われる。
そういう悪鬼を消散させんには、何が必要であるか。光明である。漲溢《ちょういつ》せる光明である。曙《あけぼの》の光に対抗し得る蝙蝠《こうもり》は一つもない。どん底から社会を照らすべきである。
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第八編 邪悪なる貧民
一 マリユスひとりの娘をさがしつつある男に会う
夏は過ぎ、秋も過ぎて、冬となった。ルブラン氏も若い娘もリュクサンブールの園に姿を見せなかった。マリユスはただ、あのやさしい美しい顔をも一度見たいとのみ念じていた。彼は絶えずさがしていた。至る所をさがし回った。しかしその影をも見い出すことはできなかった。マリユスはもはや心酔せる夢想家でもなく、決然たる熱烈な確乎《かっこ》たる男でもなく、大胆に運命を切り開かんとする者でもなく、未来の上に未来をつみ重ねて夢みる頭脳でもなく、方案や計画や矜持《きょうじ》や思想や意志に満てる若き精神でもなかった。彼は実に迷える犬であった。彼は暗い悲しみに陥った。もはや万事終わったのである。仕事もいやになり、散歩にも疲れ、孤独にもあきはてた。広漠《こうばく》たる自然も昔は、種々の姿や光や声や忠言や遠景や地平や教訓に満ち満ちていたが、今はもう彼の前にむなしく横たわってるのみだった。すべてが消えうせたように彼には思えた。
彼は常に思索を事としていた。なぜなら他に仕方もなかったからである。しかし彼はもはや自分の思想にも心楽しまなかった。思想が絶えず声低く提議してくることに対してひそかにこう答えた、「それが何の役に立つか。」
彼は幾度となくおのれを責めた。なぜ自分は彼女の跡をつけたか。彼女を見るだけで既に幸福ではなかったか。彼女も自分の方を見ていた。それだけでも既に至上のことではなかったか。彼女も自分を愛しているらしかった。それでもう十分ではなかったか。自分はいったい何を得ようと欲したのか。それだけでたくさんではなかったか。自分は道にはずれていた。自分は誤っていた……。その他いろいろ自ら責めた。マリユスの性質としてそれらのことは少しもうち明けなかったが、クールフェーラックはやはりその性質上すべてをだいたいさとった。そして初めは、マリユスが恋に陥ったのを意外に感じながらも、それを祝していた。それからマリユスが憂鬱《ゆううつ》に沈み込んだのを見て、ついにこう彼に言った。「君はまったくまずかったんだ。まあちとショーミエールにでも遊びにこいよ。」
一度、九月の晴れた日にそそのかされて、マリユスはクールフェーラックとボシュエとグランテールとが誘うままに、ソーの舞踏を見に行っ
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