往来し上下して、おもむろに上層と下層とを置き換え外部と内部とを交代せしむる、その広汎《こうはん》なる一斉の活動を、何物も止め妨ぐることはできない。それは隠れたる広大なる蠢動《しゅんどう》である。しかし社会は、表面をそのままにして内臓を変化せしめつつあるその発掘に、ほとんど気づかないでいる。そして地下の層が数多いだけに、その仕事も雑多であり、その採掘も種々である。けれどそれらの深い開鑿《かいさく》からいったい何が出て来るのか。曰《いわ》く、未来が。
 地下深く下れば下るほど、その労働者は不可思議なものとなる。社会哲学者らが見て取り得る第一層までは、仕事は善良なものである。しかしその一層を越せば、仕事も曖昧雑駁《あいまいざっぱく》なものとなり、更に下に下れば恐るべきものとなる。ある深さに及べば、もはや文明の精神をもってしては入り得ない坑となる。そこはもはや、人間の呼吸し得べき範囲を越えた所で、それより先に怪物の棲居《すまい》となるべきものである。
 下に導く段階はまた不思議なものである。その各段は、哲学の立脚し得る各段であって、そこには、あるいは聖なるあるいは畸形《きけい》なる種々の労働者がひとりずつおる。ヨハン・フスの下にルーテルがおり、ルーテルの下にデカルトがおり、デカルトの下にヴォルテールがおり、ヴォルテールの下にコンドルセーがおり、コンドルセーの下にロベスピエールがおり、ロベスピエールの下にマラーがおり、マラーの下にバブーフがおる。そういうふうにして続いてゆく。更に下の方に、目に見えるものと見えないものとの境界の所には、他のほの暗い人影がおぼろに認められる。それはおそらく、いまだこの世に存しない人々であろう。昨日の人は今は幽鬼であるが、明日の人は今はまだ浮遊のものである。精神の目のみがそれらを漠然《ばくぜん》と認め得るのである。まだ生まれざる未来の仕事は、哲学者の幻像の一つである。
 胎児の状態にある陰府《よみ》の中の世界、何という異常な幻であるか!
 サン・シモン、オーエン、フーリエなどもまたその側面坑の中におる。
 それら地下の開鑿者《かいさくしゃ》らは皆、自ら知らずしてある目に見えない聖なる鎖に結ばれていて、各自孤立していはしないが、多くは常に自ら孤独であると考えている。そして実際、彼らの仕事は種々であり、ある者の光明とある者の炎とが互いに矛盾することもある。ある者は楽しく、ある者は悲壮である。けれども、その相違のいかんにかかわらず、それらの労働者らは皆、最高のものから最低のものに至るまで、最賢のものから最愚のものに至るまで、一つの類似点を持っている。すなわち無私ということを。マラーもイエスと同じくおのれを忘れている。彼らは皆おのれを捨て、おのれを脱却し、おのれのことを考えていない。彼らは自己以外のものを見ている。彼らは一の目を有している。その目はすなわち絶対なるものをさがし求めている。最高の者は一眸《いちぼう》のうちに天をすべて収めている。最下の者も、いかにいまだ空漠たろうとも、なおその眉目《びもく》の下に無窮なるもののかすかな輝きを持っている。そのなすところが何であろうとも、かかる標《しるし》を、星の瞳《ひとみ》を、有している者ならば、すべて皆尊むべきではないか。
 影の瞳はまた他の標である。
 そういう瞳より悪が始まる。目に光なき者こそは、注意すべき恐るべき者である。社会のうちには、暗黒なる坑夫もいる。
 発掘はやがて埋没となり、光明もやがて消えうせるような地点が、世にはあるものである。
 以上述べきたった鉱坑の下に、それらの坑道の下に、進歩と理想郷とのその広大なる地下の血脈系の下に、はるか地下深くに、マラーより下、バブーフより下、更に下、はるか遠く下に、上方の段階とは何らの関係もない所に、最後の坑道がある。恐るべき場所である。われわれが奈落《ならく》と呼んだのはすなわちそれである。それは暗黒の墓穴であり、盲目の洞穴である。どん底[#「どん底」に傍点]である。
 そこは地獄と通じている。

     二 どん底

 このどん底においては無私は消滅する。悪魔は漠然《ばくぜん》と姿を現わし、人は自己のことのみを考えている。盲目の自我が、咆《ほ》え、漁《あさ》り、模索し、かみつく。社会のウゴリノがこの深淵《しんえん》のうちにおる([#ここから割り注]訳者注 ウゴリノとは飢の塔のうちに幽閉されて餓死せる子供らの頭を咬める人――ダンテの神曲[#ここで割り注終わり])。
 その墓穴の中にさまよってる荒々しい人影は、ほとんど獣類ともまたは幽鬼とも称すべきものであって、世の進歩なるものを念頭にかけず、思想をも文字をも知らず、ただおのれ一個の欲望の満足をしか計っていない。彼らはほとんど何らの自覚も持たず、心の中には一種の恐るべき
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