てきた。そういうところから彼の快活が由来したのである。彼は言っていた、「僕は[#「僕は」に傍点]瓦《かわら》がくずれ落ちる屋根の下に住んでいるんだ[#「くずれ落ちる屋根の下に住んでいるんだ」に傍点]。」驚くことはまれで、なぜなら事変が起こるのがあらかじめわかっているのだから、いけない時でも平気に構えており、運命の意地悪さにも笑っていて、まるで冗談をきいてる人のようだった。貧乏ではあったが、彼の上きげんのポケットはいつも無尽蔵だった。すぐに一文なしになってしまうが、笑い声はいつまでも尽きなかった。窮境がやってきても彼はその古|馴染《なじみ》に親しく会釈した。災厄をも親しく遇した。不運ともよく馴染み、その綽名《あだな》を呼びかけるほどになっていた。「鬼門《きもん》さん、今日は、」と彼はいつも言った。
 その運命の迫害が、彼を発明家にしてしまった。彼は種々の妙策を持っていた。少しも金は持たなかったが、気が向くと「思うままの荒使い」をする術《すべ》を知っていた。ある晩、彼はある蓮葉女《はすはおんな》と夜食をして、ついに「百フラン」を使い果たしてしまった。そしてそのばか騒ぎのうちに、次のようなすてきな言葉を思いついた。「サン[#「サン」に傍点]・ルイの娘よ[#「ルイの娘よ」に傍点]、僕の靴をぬげ[#「僕の靴をぬげ」に傍点]。」([#ここから割り注]訳者注 サン・ルイは百フラン、そしてまたルイ王にかけた言葉[#ここで割り注終わり])
 ボシュエは弁護士職の方へ進むのに少しも急がなかった。彼はバオレルのようなやり方で法律を学んだ。ボシュエはほとんど住所を持っていなかった。ある時はまったくなかった。方々を泊まり歩いた、そしてジョリーの家へ泊まることが一番多かった。ジョリーは医学生だった。彼はボシュエよりも二つ若かった。
 ジョリーは、若い神経病みだった。医学から得たところのものは、医者となることよりむしろ病人となることだった。二十三歳で彼は自分を多病者と思い込み、鏡に舌を写して見ることに日を送っていた。人間は針のように磁気に感ずるものだと断言して、夜分血液の循環が地球の磁気の大流に逆らわないようにと、頭を南に足を北にして牀《とこ》を伸べた。嵐のある時は自分で脈を取って見た。その上連中のうちで一番快活だった。若さ、病的、気弱さ、快活さ、すべてそれら個々のものは、うまくいっしょに同居して、それから愉快な変人ができ上がって、それを仲間らは、音をたくさん浪費して、ジョリリリリーと呼んでいた。「君は四り(四里)も飛び回れるんだ」とジャン・プルーヴェールは彼に言っていた。
 ジョリーはステッキの先を鼻の頭につける癖があった。それは鋭敏な精神を持ってるしるしである。
 かようにそれぞれ異なってはいるが、全体としてはまじめに取り扱うべきであるこれらの青年は、同じ一つの信仰を持っていた。それは「進歩」ということである。
 すべての人々は、フランス大革命から生まれた嫡子であった。最も軽佻《けいちょう》な者でも、一七八九年という年を言うときはおごそかになった。彼らの肉身の父は、中心党で王党で正理党で、あるかまたはあった。しかしそれはどうでもいいことである。若い彼らの雑多な前時代は彼らには少しも関係を及ぼさなかった。主義という純潔な血が、彼らの血管には流れていた。彼らは何ら中間の陰影もなく直接に、清純なる権利と絶対なる義務とに愛着していた。
 その主義にいったん加盟入会した彼らは、ひそかに理想を描いていた。
 すべてそれら燃えたる魂のうちに、確信せる精神のうちに、ひとりの懐疑家があった。彼はどうしてそこにはいってきたのであるか。あらゆる色の取り合わせによってであった。その懐疑家をグランテールと呼び、いつもその判じ名のRを署名した([#ここから割り注]訳者注 グランテールという音は大字Rという意を現わす[#ここで割り注終わり])。グランテールは何事をも信じようとはしなかった男である。それに彼は、パリー学問の間に最も多く種々なことを知った学生のひとりだった。最もよい珈琲《コーヒー》はランブラン珈琲店にあり、最もよい撞球台《たまつきだい》はヴォルテール珈琲店にあることを知っていた。メーヌ大通りのエルミタージュにはよい菓子とよい娘とがあること、サゲーお上さんの家にはみごとな鶏料理ができること、キュネットの市門にはすばらしい魚料理があること、コンバの市門にはちょっとした白葡萄酒《しろぶどうしゅ》があること、などを知っていた。あらゆるものについて、彼は上等の場所を知っていた。その上、足蹴術を心得ており、舞踏をも少し知っており、また桿棒術に長じていた。そのほかまた非常な酒飲みだった。彼は極端に醜い男だった。当時の最もきれいな靴縫《くつぬ》い女であったイルマ・ボアシーは、彼の醜さに
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