も耳を貸さなかった。息が切れた時ようやく走るのをやめたが、なお続けて進んだ。無我夢中でただ前へと進んでいった。
 走りながらも彼女は泣きたくなっていた。
 森の夜の震えが全く彼女をとり囲んでしまった。彼女はもう何にも考えなかった。何にも見なかった。広漠たる夜がその少女に顔を面していた。一方はいっさいの影、一方は眇《びょう》たる一原子にすぎなかった。
 森の縁から泉まではわずか七八分の距離であった。コゼットはしばしば昼間通ったことがあるので、その道をよく知っていた。で不思議にも道に迷いはしなかった。本能の一部が残っていて、彼女を漠然《ばくぜん》と導いたのである。その間彼女は、右にも左にも目を向けなかった、木の枝の間や藪《やぶ》の中に何かが出てきはしないかと恐れたので。そして彼女は泉の所へ達した。
 それは赤土交じりの地面に水で掘られた深さ二尺ばかりの天然の狭い水たまりであった。まわりには苔《こけ》がはえ、アンリ四世のえり飾りと呼ばるる長い縞《しま》のある草が茂り、また幾つかの大きな石が舗《し》いてあった。一条の水が、静かなささやかな音を立ててそこから流れ出ていた。
 コゼットは息をつく間
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