も皆薄暗く、荒々しく、ほの白く、陰鬱《いんうつ》で、墓場のようだった。すき間が屋根にあったり扉《とびら》にあったりするので、それを通して冷たい光線が落ちてきたり凍るような寒風が吹き込んできたりした。そのどうにか住宅らしい建物のうちでおもしろいみごとな一つの点は、蜘蛛《くも》の巣の大きいことであった。
入り口の戸の左手に、大通りに面して身長くらいの高さの所に、塗りつぶした軒窓が一つあって、四角なくぼみをこしらえて、通りがかりの子供らが投げ込んでいった石がいっぱいはいっていた。
この建物の一部は近頃こわされてしまった。けれども今日なお残ってるものを見ても、昔のありさまが察せられる。その全部の建物は、まだほとんど百年の上にはなるまい。百年といえば、教会堂ではまだ青年であるが、人家ではもう老年である。人間の住居は人の短命にあやかり、神の住居は神の永生にあやかるものらしい。
郵便配達夫はその破屋を、五十・五十二番地と呼んでいた。けれどもその一郭では、ゴルボー屋敷という名前で知られていた。
この呼び名の由来は次のとおりである。
本草学者が雑草を集めるように種々な逸話をかき集め、記憶のうちに下らない日付を針で止めることばかりをやってる些事《さじ》収集家らは、前世紀一七七〇年頃、コルボーにルナールというシャートレー裁判所付きの二人の検事が、パリーにいたことを知っているはずである。ラ・フォンテーヌの物語にある烏《からす》(コルボー)と狐《きつね》(ルナール)との名前である。いかにも法曹界《ほうそうかい》の冷笑《ひやかし》の種となるに適していた。そして間もなく、変なもじりの詩句が、法廷の廊下にひろがっていった。
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コルボー先生は記録に棲《と》まりて、
差し押さえ物件を啣《くわ》えていたりぬ。
ルナール先生はにおいに惹《ひ》かれて、
次のごとくに話をしかけぬ。
「やあ今日は!」……云々《うんぬん》。
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([#ここから割り注]訳者注 ラ・フォンテーヌの物語の初めを参考までに書き下す――烏先生は木の上にとまって、くちばしにチーズをくわえていた。狐先生はそのにおいに惹かれて、こんな言葉を彼にかけた。「やあ今日は……云々」[#ここで割り注終わり])
[#ここで字下げ終わり]
二人の律義《りちぎ》な法律家は、そういう冷評を苦にし、自分の後ろからどっと起こる笑声に少なからず威厳を傷つけられて、名前を変えようと決心し、ついに思い切って国王に請願した。ちょうど一方には法王の特派公使と他方にはラ・ローシュ・エーモン枢機官とが、二人ともうやうやしくひざまずき、陛下の御前において、床から起きてきた御|寵愛《ちょうあい》のデュ・パリー夫人のあらわな両足に各自上靴をおはかせ申したその日に、請願書は国王ルイ十五世に差し出された。笑っていられた国王はそれをみてなお笑われて、心地よく二人の司教の方から二人の検事の方へ向かわれ、その二人の法官の名前をある程度まで許してやられた。で国王の允許《いんきょ》をもって、コルボー氏は名前に濁点を付してゴルボーと名乗ることができた。またルナール氏の方は、プの字を頭につけて、プルナールと名乗ることができたが、前者ほど仕合わせでなかったというのは、第二の名前も第一のとほとんど似たりよったりだったからである。
ところでその辺の言い伝えによれば、そのゴルボー氏がオピタル大通り五十・五十二番地の破屋の所有者であったそうである。あのりっぱな窓をこしらえさしたのも彼自身であったとか。
そういうわけでその破屋は、ゴルボー屋敷という名前をもらっていた。
五十・五十二番地の家のすぐ前には、オピタル大通りの並み木の間に半ば枯れかかった大きな楡《にれ》の木が一本立っていた。家のほとんど正面に、ゴブラン市門の街路が開けていた。その街路には当時人家もなく、舗石《しきいし》もなく、季節によって緑になったり泥をかぶったりする醜い樹木が植えられていて、パリーの外郭の壁にまっすぐに通じていた。硫酸の匂《にお》いがそばの工場の屋根から息をついて吹き出ていた。
市門はすぐ近かった。一八二三年には外郭の壁もまだ残っていた。
その市門は人の心に痛ましい幻を与えるものであった。それはビセートルへ行く道であった。帝政および王政復古の時代に死刑囚らが刑執行の日に、パリーへはいってきたのは、そこからであった。一八二九年ごろにあのいわゆる「フォンテーヌブルー市門」の殺人事件が行なわれたのも、そこにおいてであった。それは実際不思議な事件で、官憲もその犯人らを発見することができず、全く不明に終わった惨劇で、ついに解決を得なかった恐ろしい謎《なぞ》であった。それから数歩進むと、あの不吉なクルールバルブ街になって、そこではあたかもメロド
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