まぎらさんとつとめた。歴史の摘発を止め、哲学の注釈を弱め、あらゆる不利な事実やいやな問題を省略せんがために、不思議な便利な方法を流行さした。大言壮語の題目[#「大言壮語の題目」に傍点]だと巧みなる者らはいう。大言壮語だとその尻馬《しりうま》に乗った者らは繰り返す。かくて、ジャン・ジャック・ルーソーも壮語家となり、ディドローも壮語家となり、カラスやラバールやシルヴァン([#ここから割り注]訳者注 皆寃罪のために極刑に処せられし人[#ここで割り注終わり])などを弁護するヴォルテールも壮語家となる。また最近だれかがかかることまで言った、タキツスは一つの壮語家であり、ネロ皇帝はその犠牲である、そして「このあわれなるホロフェルネス」(ネロ)こそまさしく同情すべきであると。
しかしながら事実は曲げ難いものであり、頑強《がんきょう》なるものである。ブラッセルから八里ばかりの所、だれにもわかる中世のひな形のある所、すなわちヴィレルの修道院において、その中庭の牧場の中央に終身囚の穴と、ディール川の岸に半ばは地下に半ばは水の下になってる四つの石|牢《ろう》とを、本書の著者は親しく見たのである。それこそまさしく寂滅牢[#「寂滅牢」に傍点]の跡である。それらの地牢の各には、一つの鉄の扉《とびら》のなごりと、一つの厠《かわや》と、格子《こうし》のはまった一つの軒窓とが残っている。その軒窓は、外部では川の水面上二尺の所になっており、内部では地上六尺の所になっている。四尺の厚さの川水が壁の外を流れているわけである。地面はいつも湿っている。寂滅牢[#「寂滅牢」に傍点]にはいった者は、その湿った地面の上に寝ていたのである。地牢のうちの一つには、壁にはめ込んである鉄鎖の一片が残っている。またあるものの中には、四枚の花崗岩《かこうがん》でできてる四角な箱のようなものが見られる。それは中に寝るにはあまりに短く、中に立つにはあまりに低い。昔その中に人を入れて上から石の蓋《ふた》をしたものである。それが残っている。目で見、手でさわることができる。それらの寂滅牢[#「寂滅牢」に傍点]、それらの地牢、それらの鉄の扉の肱金《ひじがね》、それらの鉄鎖、川の水がすれすれに流されているその高い軒窓、墓穴のように花崗岩の蓋がされて中の者に死者と生者との違いがあるのみのその石の箱、泥深いその地面、その厠《かわや》の穴、水の
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