ール・ドープール夫人だの、デュフレーヌ侯爵夫人などもいた。また一人の女は、身分が少しもわからなくて、鼻をかむ時に恐ろしい音を立てることだけ知られていた。寄宿舎の生徒らは彼女をヴァカルミニ夫人([#ここから割り注]訳者注 とどろき夫人の意[#ここで割り注終わり])と呼んでいた。
一八二〇年か二一年ごろ、アントレピードという小さな定期|編纂物《へんさんぶつ》を当時編集していたジャンリー夫人が、プティー・ピクプュスの修道院の一室にはいりたいと願ってきた。オルレアン公の推薦があった。蜂《はち》の巣をつっついたような騒ぎになった。声の母たちは震え上がった。ジャンリー夫人は小説を書いたことがあったのである。けれども、自分はだれよりも小説をきらう者であると彼女は公言した。そしてまた自分は熱烈な信仰の境地に到達したのだと言った。神の助けと、またオルレアン公の助けとによって、彼女はそこにはいることができた。ところが七、八カ月たつと、庭に木陰がないという理由で出て行ってしまった。修道女らは大喜びをした。老年ではあったが彼女は、なお竪琴《ハープ》をいつも弾じていて、それもきわめて巧みに弾じた。
出て行く時彼女は自分の分房に痕《あと》を残していった。ジャンリー夫人は迷信家でまたラテン語学者であった。その二つのことは彼女の人がらにかなりいい趣を添えた。彼女が金銭や宝石などを入れていた分房の小さな引き出しの内部に、次の五行のラテン語の詩がはりつけてあるのが今から数年前まで残っていた。それは黄色い紙に赤インキで彼女が自らしたためたもので、彼女に言わせると盗人を恐がらせる威力を持ってるものだそうである。
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値異なる三つの身体、十字架の枝にかかる、
ディスマス、ジェスマス、中央にイエス・キリスト。
ディスマスは高きを求め、あわれジェスマスは低きを求む。
願わくは神よ、われらの生命《いのち》と財とを護《まも》りたまえ。
この詩を誦《しょう》する者は、その財を盗まるることなからむ。
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六世紀頃のラテン語のその詩は、あのカルヴェールの丘でキリストとともに十字架につけられた二人の盗賊の名が、一般に信ぜられてるようにディマスおよびジェスタスと言うのであるか、あるいはこの詩のとおりディスマスおよびジェスマスというのであるかについて、問題をひき起こした。この
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