しその工事は全部済んではいなかった。それは柵《さく》を施すだけの時間がなかったのである。
ウェリントンは不安ではあったがなお平然として馬にまたがり、モン・サン・ジャンの古い風車小屋の少し前方、楡《にれ》の木の下に、終日同じ姿勢で立っていた。その風車小屋は今もなお残っているが、楡の木の方は、物のわからぬあるイギリスの心酔家が、その後二百フランで買い取り、切り倒して持っていってしまったのである。ウェリントンはそこに、冷然たる勇気をもって立ちつくしていた。砲弾は雨と降りきたった。副官のゴルドンは彼のそばで倒れた。ヒル卿は破裂する榴弾《りゅうだん》をさしながら言った。「閣下、閣下の示教せらるるところは何でありますか。もし戦死せらるる場合にはいかなる命令をあとに残されますか?」「私のとおりせよということだ[#「私のとおりせよということだ」に傍点]、」とウェリントンは答えた。彼はまたクリントンに簡単に言った、「最後の一人までここにふみ止まれ[#「最後の一人までここにふみ止まれ」に傍点]。」戦いは明らかに不利になってきた。ウェリントンはタラヴェラやヴィットーリアやサラマンクなどの昔の戦友たる部下に叫んでいた、「諸子よ[#「諸子よ」に傍点]! いかで退却をなし得るか[#「いかで退却をなし得るか」に傍点]。古よりのイギリスを考えてみよ[#「古よりのイギリスを考えてみよ」に傍点]!」
四時ごろ、イギリスの戦線は後方に動き出した。と突然、高地の頂には砲兵と狙撃兵《そげきへい》とのほか何も見えなくなった。その他のものは姿を消した。全連隊は、フランスの榴弾と砲弾とに追われて、後方深く退いた。そこにはモン・サン・ジャンの田圃《たんぼ》道が今日もなお横切っている。後退運動が起こされ、イギリス戦線の正面は取り払われ、ウェリントンも退いた。「退却を始めた!」とナポレオンは叫んだ。
七 上|機嫌《きげん》のナポレオン
皇帝は病気にかかっていて馬上では局所に苦痛を感じて困難ではあったが、かつてその日ほど上機嫌《じょうきげん》なことはなかった。心情を発露することのないその顔つきも、朝から微笑をたたえていた。大理石の面をかぶったようなその深い魂も、一八一五年六月十八日には何ということもなく光り輝いていた。アウステルリッツにおいて陰鬱《いんうつ》であったその人も、ワーテルローにおいては快活
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