ラマの中に見るようにユルバックがイヴリーの羊飼い女を雷鳴のうちに刺し殺したのであった。なお数歩進むと、サン・ジャック市門の所の頭を切られたいやな楡の木立ちの所に達する。あの博愛者らが断頭台を隠すに用いた所であり、死刑の前にたじろぎながら堂々とそれを廃することも、厳としてそれを継続することもあえてできなかった商人や市民などの階級の、陋劣《ろうれつ》不名誉なる刑場であった。
今より三十七年前に、常に恐ろしいほとんど宿命的なそのサン・ジャックの広場を外にして、この陰うつなオピタル大通りのうちでの最も陰鬱《いんうつ》な所といえば、五十・五十二番地の破屋のある今日でもあまり人の好まぬその一|隅《ぐう》であった。
町家はその後約二十五年も後にならなければそこには建て初められなかった。当時そこはきわめて陰惨な場所であった。前に述べたような惨劇を思い起こさせる上に、丸屋根の見えるサルペートリエール救済院とすぐ柵《さく》が近くにあるピセートル救済院との間にはさまってることが感ぜられた、すなわち女の狂人と男の狂人との間にあることが。目の届く限りただ、屠牛《とぎゅう》場や市の外壁や、所々に兵営や僧院に見るような工場の正面などがあるばかりだった。どちらを見ても、板小屋や白堊《はくあ》塗り、喪布のような古い黒壁や経帷子《きょうかたびら》のような新しい白壁。どちらをながめても、平行した並木、直線的な築塀、平面的な建物、冷ややかな長い線とわびしい直角。土地の高低もなければ、建築の彩《あや》もなく、一つの襞《ひだ》さえもない。全景が氷のようで規則的で醜くかった。およそ均斉《シンメトリー》ほど人の心をしめつけるものはない。均斉はすなわち倦怠《けんたい》であり、倦怠はすなわち悲愁の根本である。絶望は欠伸《あくび》をする。苦悩の地獄よりもなお恐るべきものがあるとするならば、それはまさしく倦怠の地獄であろう。もしそういう地獄が実際に存在するものであるならば、このオピタル大通りの一片はまさにその通路であったろう。
けれども、夜の幕がおりてくるころになると、明るみが消え去ってゆくころになると、ことに冬には、夕暮れの寒風が楡《にれ》の最後の霜枯れ葉を吹き払うころになると、そしてあるいはやみが深く星の光もない時、あるいは月光と風とが雲のすき間から落ちてくる時、このオピタル大通りはにわかに恐ろしい趣に変わるの
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