マとはそのことを忘れないで、めいめい自分の靴を片方ずつ暖炉の中に置いていたのである。
男は身をかがめてのぞいてみた。
親切なお爺さんは、すなわち母親は、既にやってきたと見えて、両方の靴の中にはそれぞれ、新しいりっぱな十スー銀貨が光っていた。
男は立ち上がって去ろうとした。その時彼は、炉の奥の方の暗いすみっこの影に、も一つ何かがあるのを認めた。よく見るとそれは木靴だった。ぶかっこうな醜い木靴で、半ばこわれかかっていて、かわいた泥と灰とにまみれていた。コゼットの木靴だった。コゼットはいくらだまされても決して気を落とさない子供心のいじらしい信頼で、暖炉の中に自分も木靴を置いたのであった。
絶望のほかは何事も知らなかった子供のうちにもなお残っているその希望こそ、崇高なまた優しいものではないか。
その木靴の中には何にもはいっていなかった。
男は胴着の中をさぐり、身をかがめ、コゼットの木靴の中にルイ金貨を一つ入れた。
それから彼は抜き足して自分の室《へや》へ戻った。
九 テナルディエの策略
翌朝少なくとも夜明けより二時間ぐらい前に、テナルディエは酒場の天井の低い広間で蝋燭《ろうそく》の傍《わき》にすわって、手にペンを執り、黄色いフロックの旅客への請求書をしたためていた。
女房はそばに立ちながら半ば彼の上に身をかがめて、ペンの跡をたどっていた。彼らは一言も言葉をかわさなかった。一方は、深く考え込んでおり、一方は、人の頭から驚くべきものが出現してくるのを見るおりのあの敬虔《けいけん》な嘆賞の念に満たされていた。家の中にはただ一つの物音がしていた。それは雲雀娘《ひばりむすめ》が階段を掃除する音だった。
およそ十五分もたってから、いくらかの添削をした後、テナルディエは次の傑作をこしらえ上げた。
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一号室様への請求書
一、夕食 三フラン
一、室代 十フラン
一、蝋燭代 五フラン
一、炭代 四フラン
一、雑用 一フラン
合計 二十三フラン
[#ここで字下げ終わり]
右の書き付けのうち雑用というのはまちがって難用[#「難用」に傍点]と書いてあった。
「二十三フラン!」と女房は多少|躊躇《ちゅうちょ》の色を浮かべながら感心して叫んだ。
あらゆる大芸術家のように
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