に最も憎むべき者のように思った。けれども自分をおさえなければならなかった。彼女は何事にも夫をまねようとしていたので、仮面をかぶることにはよくなれていたが、それでもその時の感情にはほとんどたえ難いものがあった。彼女は急いで自分の娘たちを寝床に追いやった。それからコゼットをも寝かそうとその黄色い着物の男に許可[#「許可」に傍点]を願った。今日は大変疲れていますから[#「今日は大変疲れていますから」に傍点]などと母親らしい様子でつけ加えた。でコゼットは、両腕にカトリーヌを抱いて寝に行った。
 上さんは時々、室《へや》の向こうの端の亭主の所へ行った。心を安めるために[#「心を安めるために」に傍点]と自ら言っていた。彼女は亭主とちょっと言葉をかわした。それは大声に言えないだけいっそういら立ったものだった。
「あの糞爺《くそじじい》め! どういう腹なんだろう。ここにやってきて私どもの邪魔をするなんて! あの小さな餓鬼を遊ばしたがったり、人形をやったり、それも、四十スーの値打ちもない犬女郎《いぬめろう》に四十フランもする人形をやったりしてさ! も少ししたら、ベリーの御妃《おきさき》にでも言うように、陛下なんて言い出すかも知れない。正気の沙汰《さた》か、気が狂ったのか、あの変な老耄《おいぼれ》めが。」
「なぜかって、わかってるじゃないか。」とテナルディエは答え返した。「なあに、それが奴《やつ》にはおもしろいんだ! お前にはあの児が働くのがおもしろいように、奴にはあの児が遊ぶのがおもしろいのさ。それはあの男の権利だ。客となりゃあ、金さえ出せば何でも勝手にできるんだからな。あの爺《じい》さんが慈善家だったとしても、それがお前にどうしたというわけはないじゃねえか。もしばか者だったとしたところで、お前に関係したことじゃねえ。何もお前が口を出すことはねえや。向こうには金があるんだからな。」
 亭主としての言葉、宿屋の主人としての理論、それはいずれも抗弁を許さないところのものであった。
 男はテーブルの上に肱《ひじ》をついて、また何か考え込んだような様子をしていた。商人や馬方などすべての他の旅客らは、少し遠くに身をさけて、もう歌も歌わなかった。彼らは一種の畏敬《いけい》の念をもって男を遠くからながめていた。あんな見すぼらしい着物をつけながら、平気で大きい貨幣をポケットから引き出し、木靴《きぐつ
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