いた。着物は破れ裂けて、夏にはかわいそうに思われ、冬には恐ろしく思われた。身につけているのは、穴のあいた麻布ばかりで、一片の毛織りの布もなかった。所々に肌《はだ》がのぞいていて、そのどこにも青い斑点《はんてん》や黒い斑点が見えていた。それはテナルディエの上さんに打たれた跡であった。露《あら》わな両脛《りょうすね》は赤くかじかんでほっそりしていた。鎖骨の上が深くくぼんでいるのを見ると、かわいそうで涙がこぼれるほどだった。彼女の全身、その歩き方、その態度、声の調子、一言いっては息を引く様、その目つき、その沈黙、そのちょっとした身振り、それらはただ一つの思いを現わし示していた、すなわち恐怖を。
 恐怖の念が彼女の全身に現われていた。いわばそれにおおわれてるがようだった。恐怖のために彼女は、両|肱《ひじ》を腰につけ、踵《かかと》を裾着《すそぎ》の下に引っ込ませ、できるだけ小さくちぢこまり、ようやく生きるだけの息をついていた。そしてその恐怖の様子はほとんど彼女の身体の癖となっていて、いつも同じようで、ただその度がしだいに高まってゆくだけであった。その瞳《ひとみ》の底には驚いたような影があって、恐怖の念が見えていた。
 そういう恐怖の念が強くコゼットを支配していたので、彼女は今帰ってきて、着物がぬれていたにもかかわらず、火の所へ行ってそれをかわかそうともせず、そのまま黙って仕事を初めたのだった。
 八歳のその小娘の目つきは、普通はいかにも陰鬱《いんうつ》で、時にはいかにも悲壮であって、どうかすると、白痴かあるいは悪魔にでもなるのではないかと思われるほどだった。
 前に言ったとおり、彼女はかつて祈祷《きとう》の何たるやを知らず、またかつて教会堂に足をふみ入れたこともなかった。「どうしてそんな閑《ひま》があるものか、」とテナルディエの上さんは言っていた。
 黄色いフロックの男は、コゼットから目を離さなかった。
 突然テナルディエの上さんは叫んだ。
「そうそう、パンは?」
 コゼットは、お上さんが高い声を出す時にいつもするように、すぐにテーブルの下から出てきた。
 彼女はすっかりパンのことを忘れていた。それで、絶えずおびえてる子供特有の方便を持ち出して、嘘《うそ》を言った。
「お上さん、パン屋はしまっていましたの。」
「戸をたたけばいいじゃないか。」
「たたきました。」
「そして?」
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