の命令を受けた。しかし男は、その郭外の寂しい小路のうちに身を隠した。そして日の光が薄らぎかけていたので、警官は彼の姿を見失ってしまった。そのことは、国務大臣で警視総監のアングレー伯爵へその日の夕方差し出された報告のうちに書いてあった。
黄色いフロックの男は、警官をまいてしまった時、足を早めたが、もう追跡されてはいないことを確かめるためにたびたびふり返ってながめた。四時十五分に、すなわち全く日が暮れた時に、彼はポルト・サン・マルタン劇場の前を通った。その日の芝居は二人の囚人[#「二人の囚人」に傍点]というのであった。劇場の反照燈に照らされた[#「照らされた」は底本では「照られた」]その看板が彼の目を引いた。彼は早く歩いていたにもかかわらず、立ち止まってそれを読んだ。それからじきに彼はプランシェットの袋町にゆき、プラ・デタンという家にはいって行った。当時そこにランニー行きの馬車の立て場があった。馬車は四時半に出発することになっていた。馬はもうつけられており、旅客らは御者に呼ばれて、馬車の高い鉄のはしごを大急ぎで登っていた。
男は尋ねた。
「席がありますか。」
「一つあります。私のそばの御者台の所ですが。」と御者は言った。
「それを願いましょう。」
「お乗りなさい。」
けれども出かける前に、御者はその客の賤《いや》しいみなりと小さな荷物とをじろりと見やって、金を先に払わした。
「ランニーまでですか。」と御者は尋ねた。
「そうです。」と男は答えた。
彼はランニーまでの馬車賃を払った。
一同は出発した。市門を出た時、御者は話をしようとしたが、男は一、二言の短い答えを返すだけであった。御者は仕方なしに、口笛吹いたり馬をしかり飛ばしたりした。
御者は外套《がいとう》に身を包んだ。非常に寒かった。けれども男はそれを気にもしていないようだった。そのようにしてグールネーを過ぎ、ヌイイー・スュール・マルヌを過ぎた。
晩の六時頃にはシェルに着いた。御者は馬を休ませるために、国立修道院の古い建物のうちにあった駅宿の前で馬車を止めた。
「私はここでおりる。」と男は言った。
彼は包みと杖とを取って、馬車から飛びおりた。
間もなく彼の姿は見えなくなった。
彼は宿屋にはいったのではなかった。
数分後に馬車がまたランニーに向かって進み出した時、彼の姿はシェルの大通りにも見えなかっ
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