彼女はそんなふうで道をはかどることができなかった。彼女は少しずつ進んでいた。立ち止まる時間を少なくし、そのあいだあいだをできるだけ長く歩こうと、いくらつとめてもだめだった。こんなふうではモンフェルメイュまで戻るには一時間以上もかかるだろう、そしてテナルディエの上さんに打たれるだろう、と考えては心を痛めた。そしてその心痛は、夜ただ一人で森の中にいるという恐怖の情に交じっていた。もうすっかり疲れ切っていたのに、まだ森から出てもいなかった。そして、かねて見知っている古い栗《くり》の木のそばまできた時、よく休むために最後に一度少し長く立ち止まった。それから全力をよび起こして、桶を取り、元気を出して歩きだした。けれども絶望的なあわれな少女は、思わず声を立てないではおれなかった。「おう神様! 神様!」
 その時、彼女はにわかに桶《おけ》が少しも重くないのを感じた。非常に大きいように思われた一つの手が、桶の柄をつかんで勢いよくそれを持ち上げたのだった。彼女は頭を上げた。まっすぐにつき立った黒い大きな姿が、暗やみの中を彼女と並んで歩いていた。それは彼女の後ろからやってきた一人の男で、その近づいて来る足音を彼女は少しも耳にしなかったのである。男は一言も口をきかないで、彼女の持っている桶《おけ》の柄に手をかけていた。
 人生のいかなるできごとにも相応ずる本能もある。少女は別に恐怖を感じなかった。

     六 ブーラトリュエルの明敏を証するもの

 一八二三年のその同じクリスマスの日の午後、パリーのオピタル大通りの最も寂しい所を、かなり長い間一人の男がうろついていた。その男は住宅をさがしてるような様子であって、サン・マルソー郭外のその荒廃した片すみにある最も質素な人家の前に好んで足を止めてるようだった。
 果してその男が、その寂しい町に部屋を一つ借りたことは、後に述べるとしよう。
 その男は、服装《みなり》から見ても人柄から見ても、高等|乞食《こじき》とでも称し得るような型《タイプ》をそなえていた、すなわち非常な見窄《みすぼ》らしさとともにまた非常な清潔さを。そういう一致はあまり見られないものであって、きわめて貧しい者に対する敬意ときわめてりっぱな者に対する敬意と、二重の敬意を心ある人々に起こさせるものである。彼はごく古いがよくブラシをかけた丸い帽子をかぶり、粗末な石黄色の布地《きれ
前へ 次へ
全286ページ中99ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
ユゴー ヴィクトル の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング