に用のない多くの人がいっぱいになっていた。
オリオン号は既に長い前から損《いた》んでいた。方々への航海中に、貝殻の厚い層が喫水部《きっすいぶ》に付着して、速力の半ばを減じていた。で前年はドックにはいってその貝殻を除かれ、そしてまた海に出て行ったのである。しかしその掃除のために喫水部の釘が損じていた。バレアール島の沖では、船腹がゆるんで穴が開いた、そして当時船体の内部は鉄板でおおわれていなかったので、水が漏り初めた。そこへ激しい彼岸嵐に襲われて、左舷《さげん》の船嘴《せんし》と一舷窓とがこわれ、前檣《ぜんしょう》の索棒が損《いた》んだ。そしてそれらの損所のためにまたツーロン港にはいってきたのである。
オリオン号は造船|工廠《こうしょう》の近くに停泊していた。そしてなお艤装《ぎそう》したまま修繕されていた。船体は右舷では少しも損んでいなかった。しかしいつもやられるとおりに、張り板はそこここはがされていて、船内に空気を通す用に供されていた。
さてある日の朝、オリオン号をながめていた群集は一事変を目撃した。
船員らはちょうど帆を張っていた。すると、右舷の大三角帆の上端をとらえる役目の水夫が身体の平均を失った。彼はよろめいた。それを見て、造船工廠の海岸に集まっていた群集は叫び声を上げた。頭をまっさきにして水夫は帆桁をぐるりと回りながら、逆様に深海に向かって両手をひろげた。その途中で彼は下がっている綱を片手でつかみ、次に両手でつかんで、そこにうまくぶら下がった。海は彼の下に目を回すような深さにたたえていた。彼の墜落の勢いのために、綱はぶらんこのように激しく動揺した。水夫はその綱の一端に揺り動かされて、ちょうど石投げひもの先につけた石のようであった。
彼を助けにゆくには恐るべき危険を冒さなければならなかった。水夫らは皆新たに徴発されて働いてる沿岸の漁夫であって、あえてその危険を冒そうとする者は一人もなかった。そのうちに不運な水夫は弱ってきた。遠いので顔にその苦悩は認められなかったが、しだいに力弱ってゆくことは手足にそれと認められた。両腕は見るも恐ろしいほど引っ張られていた。再びよじ上ろうとする努力は、ぶら下がった綱の動揺をいたずらに増すばかりだった。彼は力を失うのを恐れて声も立てなかった。もはや彼が綱を離す瞬間を待つばかりだった。そして人々は彼が落ちてゆくのを見まいとし
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