られていたのである。王国および軍国の礼儀、騒然たる儀礼の交換、礼式の信号、海上と砲台との儀式、毎日すべての要塞《ようさい》および軍艦から迎えらるる日の出と日没、港の開始と閉塞、その他種々のものが。文明社会は、各地において毎二十四時間ごとに、無益な大砲を十五万発も発射している。一発を六フランとすれば、一日に九十万フランが、一年に三億フランが、煙となるわけである。そしてそれもただ一部の項目だけでそうである。その間に一方では、貧しい人々は飢えている。
 一八二三年は、復古政府が「スペイン戦争時代」と呼んだ年である。
 その戦争一つのうちには、多くの事変が含まっており、多くの特殊な事がらが混入していた。ブールボン家にとって重大な家系問題。フランス王家がマドリッドの王家を援助し保護して、いわゆる本家の勤めを尽したこと。北方の諸政府に隷属《れいぞく》服従していっそう煩雑《はんざつ》をきたした、フランスの国民的伝統への表面上の復帰。アングーレーム公が、自由派の空想的な虐政と争っていた宗教裁判所の実際的な古来からの虐政を、いつもの穏和な様子にも似ず堂々たる態度をもって抑制して、自由派の諸新聞からアンデュジャールの英雄[#「アンデュジャールの英雄」に傍点]と呼ばれたこと。サン・キュロット(反短ズボン派――過激共和党)がデスカミザドス[#「デスカミザドス」に傍点](反シャツ派)の名の下に復活して、有爵未亡人らに恐慌をきたさしめたこと。王政が無政府制と綽名《あだな》された進歩に対して障害となったこと。一七八九年の革命の理論が底深く浸潤せんとする途中で、にわかに中断されたこと。フランスの革命思想を親しく見た全欧州の警戒の声が世界中に響き渡っていったこと。総司令官フランス王子と相並んで、後にシャール・アルベールと言われたカリンニャン大侯が、義勇兵として擲弾兵《てきだんへい》の赤い絨毛《じゅうもう》の肩章をつけて、民衆を圧伏せんとする諸国王らの企てに加入したこと。帝国時代の兵士らは再び戦場についたが、八年間の休息の後をうけて既に老衰して元気なく、また白い帽章をつけていたこと。三十年前コプレンツにおいて白旗が打ち振られたように([#ここから割り注]訳者注 革命時代王党の亡命者らが一軍を編成したことを言う[#ここで割り注終わり])三色旗が勇壮なる一群のフランス人によって外国において打ち振られたこと
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