出し、そしてしばらくするうちに、もう生命のない、あるいは少なくとも気を失ってる一人の男を、凹路《おうろ》の影の方へ引きずって行った。それは一人の胸甲騎兵であって、将校であり、しかも相当の階級のものらしかった。大きな金の肩章が胸甲の下からのぞいていた。もう兜《かぶと》は失っていた。ひどいサーベルの傷が顔についていて、顔一面血だらけだった。しかし顔のほか、手足は無事らしかった、そして、もしここに仕合わせという語が使えるならば、仕合わせにも、多くの死骸が彼の上に丸屋根をこしらえたようなふうになっていて、押しつぶされることを免れていた。目はもう閉じていた。
 彼はその胸甲の上に、レジオン・ドンヌールの銀の十字章をつけていた。
 男はその勲章をもぎ取り、上衣の下の洞穴の底へ押し込んでしまった。
 その後で、彼は将校の内ぶところを探ってみて、そこに時計を探りあてて、それを取り上げた。それからチョッキを探って、そこに金入れを見いだして、それを自分のポケットにねじ込んだ。
 その死にかかった将校に男がそこまで手をかしてやった時、将校は目を開いた。
「ありがとう。」と彼は弱々しく言った。
 男の取り扱い方の荒々しさと、夜の冷気と、自由に吸い込まれた空気とは、彼を瀕死《ひんし》の境から引き戻したのだった。
 男は返事をしなかった。頭を上げた。人の足音が平原の中に聞こえていた、たぶん巡察の兵士が近づいて来るのであったろう。
 将校は低くつぶやいた、その声のうちには死の苦しみがこもっていた。
「どちらが勝ったか?」
「イギリスの方です。」と男は答えた。
 将校は言った。
「僕のポケットの中をさがしてみてくれ。金入れと時計があるはずだ。それをあげよう。」
 もうそれは取られていたのである。
 男は言われた通りのことをするまねをした、そして言った。
「何もありません。」
「だれか盗んだな。」と将校は言った。「残念だ。君にあげるんだったが。」
 巡察兵の足音はしだいにはっきりしてきた。
「人がきます。」と男は立ち去ろうとするような身振りをして言った。
 将校はようよう腕を持ち上げて男を引き止めた。
「君は僕の生命を救ってくれたのだ。何という名前だ?」
 男は急いで低声に答えた。
「私はあなたと同じようにフランス軍についていた者です。もうお別れしなければなりません。もしつかまったら銃殺されるばかり
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