らるるであろう。恐ろしき六月十八日の様はよみがえってき、人工の記念の丘は消え、何かのその獅子《しし》の像も消散し、戦場はまざまざと現われて来る。歩兵の列は平原のうちにうねり、狂うがごとく疾駆する騎兵の列は地平を過ぎる。心乱れたその瞑想《めいそう》の旅客は見る、サーベルのひらめきを、銃剣の火花を、破烈弾の火災を、雷電の驚くべき交錯《こうさく》を。また彼は聞く、墳墓の底の瀕死の喘《あえ》ぎのごとくに、幻の戦いの漠たる叫喊《きょうかん》の響きを。あの物影は擲弾兵《てきだんへい》、あの微光は胸甲騎兵、あの骸骨《がいこつ》はナポレオン、あの骸骨はウェリントン。それらはもはや幻ではあるが、しかもなお互いに衝突し戦っている。谿谷《けいこく》は赤くいろどられ樹木は震え、雲間にまで狂暴なものがひろがり、そして暗夜のうちに、モン・サン・ジャン、ウーゴモン、フリシュモン、パプロット、プランスノアなど、すべてそれらの凶暴な高地は茫乎《ぼうこ》と現われきたって、その上には、互いに殲滅《せんめつ》し合う幽鬼の旋風が荒れ狂っている。

     十七 ワーテルローは祝すべきか

 世には少しもワーテルローを憎まないきわめて敬すべき自由主義の一派がある。しかし吾人《ごじん》はその仲間ではない。吾人に取っては、ワーテルローは単に自由の惘然《ぼうぜん》自失した一時期を画するものに過ぎない。かくのごとき鷲よりかくのごとき卵が生れるとは、それこそ正しく意外事である。
 ワーテルローは、これを問題の最高見地よりみるならば、ことさらに反革命的の勝利である。それはフランスに対抗するヨーロッパであり、パリーに対抗するペテルブルグとベルリンとウインとである。進取に対抗する現状維持《スタチュ・クオ》であり、一八一五年三月二十日を通じて攻撃されたる一七八九年七月十四日であり([#ここから割り注]訳者注 前者はナポレオンのエルバ島よりパリーへ帰着の日、後者はフランス大革命の初端バスティーユ牢獄破壊の日[#ここで割り注終わり])フランスの制御すべからざる騒乱に対する諸君主政体の戦闘準備である。既に二十六年前から爆発しているその広大な民衆を消滅し尽すこと、それがその夢想であった。それは、ブルンスウィック家、ナッソー家、ロマノフ家、ホーヘンツォルレルン家、ハプスブールグ家などと、ブールボン家との連衡である。しかしワーテルローは
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