ていた。ポティエが名声を得ていた。オドリーはまだ世に出ていなかった。サキー夫人がフォリオゾの後を継いでいた。フランスにはなおプロシア人がいた。ドゥラロー氏が頭角を現わしていた。プレーニエやカルボンノーやトレロンの手を切り次に首を切って、正統王位の権は堅固になっていた。侍従長のタレーラン公と大蔵大臣に就任したルイ師とは、互いに顔を見合って占考官のような笑《え》みを交《か》わしていた。二人は一七九〇年七月十四日に練兵場で同盟大会《フェデラシオン》の弥撒《ミサ》祭をあげたのであるが、タレーランは司教として弥撒をとなえ、ルイは補祭としてそれに働いたのだった。一八一七年に、その同じ練兵場の側道には、鷲《わし》と蜂《はち》との模様の金箔《きんぱく》ははげ落ちて、青く塗られてる大きな木の円筒が、幾つも雨に打たれ雑草の中に朽ちてるのが見られた。それは二年前には閲兵式の時の皇帝の席をささえていた円柱であった。グロス・カイヨーの近くに宿営していたオーストリア軍の陣営の焚火《たきび》のために所々黒くすすけていた。その二、三のものは陣営の中で燃されてしまって、オーストリア兵士の大きな手を暖めたのであった。その
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