いっしょにプロシアへでも行っちまうがいい[#「いっしょにプロシアへでも行っちまうがいい」に傍点]。」彼はうまく一つの悪口のうちに最もきらいなプロシアとイギリスとをいっしょに言ってのけたのであった。が彼はそういう毒舌をあまりきいたので、ついに自分の地位を失った。かくて妻子をつれて街頭にパンに窮したのである。司教は彼をよんで、穏かに戒《いさ》め、そして大会堂の門番に任じたのであった。
 ミリエル氏はその教区のうちにあって、真の牧人《ひつじかい》であり、すべての人の友であった。
 九年の間にビヤンヴニュ閣下は、聖《きよ》き行ないと穏かな態度とをもって、優しいそして子の父に対するがごとき一種の尊敬の念をディーニュ市民の心にいだかしめた。ナポレオンに対する彼の態度すら、人民から容認され黙許されたがようであった。彼らは善良な弱い羊の群れであって、彼らの皇帝を崇拝していたが、また彼らの司教を愛していた。

     十二 ビヤンヴニュ閣下の孤独

 司教のまわりには、あたかも将軍の周囲に少年士官の多数が集まっているように、年少宗教家らの取り巻きが常にある。あのおもしろいサン・フランソア・ド・サールが
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