誓する権利がないことを注意した時、彼は頭を上げて、正面の群集を見つめた。裁判長は彼によく考えるように言って、それからブルヴェーに尋ねたとおり、彼がなお被告を知っていると主張するかどうかを尋ねた。
シュニルディユーは放笑《ふきだ》した。
「なあに、知ってるかって! 私どもは五年も同じ鎖につながれていたんだ。おい爺さん、何をそう口をとがらしているんだ。」
「席につけ。」と裁判長は言った。
守衛はコシュパイユを連れてきた。シュニルディユーと同じく徒刑場から呼び出された、赤い獄衣を着てる無期徒刑囚だった。ルールドの田舎者《いなかもの》で、ピレネー山の山男だった。彼は山中で羊の番をしていたのであるが、羊飼いから盗賊に堕したのである。被告同様の野人で、かつなおいっそう愚鈍らしかった。自然から野獣に作られ社会から囚人に仕上げられた不幸なる人々の一人だった。
裁判長は感慨ぶかい荘重な言葉で、彼の心を動かそうとした、そして前の二人にしたように、前に立っている男を何らの躊躇《ちゅうちょ》も惑いもなく認定しつづけるかどうかを尋ねた。
「こいつはジャン・ヴァルジャンだ。」とコシュパイユは言った。「起重機のジャンとも言われていた。そんなに力が強かったんだ。」
明らかにまじめに誠実になされたその三人の断定をきくたびごとに、傍聴人の間には被告の不利を予示するささやきが起こった。新しい証言が前の証言に加わってゆくごとに、そのささやきはますます大きくなり長くなった。被告の方は、それらの証言を例のびっくりしたような顔つきで聞いていた。反対者から言わすれば、それは彼の自己防衛の重なる手段であった。第一の証言に、両側にいた二人の憲兵は彼が口のうちでつぶやくのを聞いた。「なるほど彼奴《あいつ》がその一人だな!」第二の証言の後、彼はほとんど満足らしい様子ですこし高い声で言った、「結構だ!」三番目には彼は叫んだ、「素敵だ!」
裁判長は彼に言葉をかけた。
「被告、ただいま聞いたとおりだ。何か言うことがあるか。」
彼は答えた。
「私は、素敵だ! と言うのだ。」
喧騒《どよめき》が公衆のうちに起こって、ほとんど陪審員にまでおよんだ。その男がもはや脱《のが》れられないのは明白であった。
「守衛たち、」と裁判長は言った、「場内を取り静めよ。本官はこれより弁論の終結を宣告する。」
その時、裁判長のすぐ傍に何か動くものがあった。人々は一つの叫ぶ声をきいた。
「ブルヴェー、シュニルディユー、コシュパイユ! こちらを見ろ。」
その声を聞いた者は皆凍りつくような感じがした。それほど悲しいまた恐ろしい声であった。人々の目はその声のした一点に向けられた。法官席の後ろにすわっている特別傍聴人のうちの一人の男が、立ち上がって、判事席と法廷とをへだてる半戸を押し開き、広間の中央につっ立っていた。裁判長も検事もバマタボア氏も、その他多くの人が、その男を認めた、そして同時に叫んだ。
「マドレーヌ氏!」
十一 シャンマティユーますます驚く
それは実際マドレーヌ氏であった。書記席のランプは彼の顔を照らしていた。彼は手に帽子を持っていた。その服装には少しも乱れた所はなく、フロックはよくボタンがかけられていた。ひどく青ざめて軽く震えていた。アラスに着いた頃はまだ半白であったその髪の毛も、今はまったく白くなっていた。そこにいた一時間前から白くなったのである。
人々は皆頭を上げた。その激情の光景は名状すべからざるものだった。聴衆のうちには一瞬間|躊躇《ちゅうちょ》があった。あの声はいかにも痛烈で、そこに立っている人はいかにも平静で、初めは何のことだか人々にはわからなかった。だれがいったい叫んだのかわからなかった。あれほど恐ろしい叫びを発したのがその落ち着いた人だとは、だれにも思えなかった。
がその不決定な時間は数秒しか続かなかった。裁判長や検事が一言を発する間もなく、憲兵や守衛が身を動かす間もなく、まだその時までマドレーヌ氏と呼ばれていたその人は、証人コシュパイユ、ブルヴェー、シュニルディユー、三人の方へ進んで行った。
「お前たちは私を知らないか?」と彼は言った。
三人はびっくりしたままで、頭を振って知らない旨を示した。コシュパイユは恐れて挙手の礼をした。マドレーヌ氏は陪審員および法官の方へ向いて、穏やかな声で言った。
「判事諸君、被告を放免していただきたい。裁判長殿、私《わたし》を捕縛していただきたい。あなたのさがしていらるる人物は、彼ではない、この私である。私がジャン・ヴァルジャンである。」
皆息をひそめた。最初の驚駭《きょうがい》の動揺に次いで、墳墓のような沈黙がきた。人々はその広間の中に、何か偉大なることがなさるる時群集を襲うあの宗教的恐怖の一種を感じた。
そのうち
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