天気の時には二時ごろに家を出かけて、しばしば破屋《あばらや》に立ち寄ったりしながら、徒歩で田舎《いなか》やまたは町の方へ散歩した。一人で道を歩きながら、何か考えに沈み込み、目を伏せて長い杖《つえ》に身をささえ、綿のはいった暖い紫の絹|外套《がいとう》を着、紫の靴足袋《くつたび》と粗末な靴とをはき、三すみから三つの金モールの縒総《よりふさ》がたれてる平たい帽子をかぶっている彼の姿が、よく見られた。
 彼が姿を現わす所はどこでも祭りのようであった。彼の入来は何かしら人を暖め、光明をもたらすがようだった。子供や老人は、ちょうど太陽に対するように司教に対して戸口へ出てきた。彼は人々を祝福し、人々は彼を祝福した。何か必要に迫られてる者には皆、人々が彼の家を教えてやった。
 彼処《かしこ》此処《ここ》と彼は歩みを止めて、小さい男の子や女の子に話をし、母たちに笑顔を見せた。彼は金のある間は貧しい人々を訪れ、金がなくなれば富める人々を訪れた。
 彼は長い間その法衣を着続けていて、それを人から知られることをあまり好まなかったので、紫の絹外套を着ずには決して町へ出かけなかった。夏には、少しそれに困らされた。
 晩は八時半に妹とともに夕食をした。マグロアールが彼らのうしろに立って給仕をした。この上もなく粗末な食事であった。けれども司祭たちのだれかが食事につらなることがあると、マグロアールはその機を利用して、湖水で取れるいい魚類や山で取れるりっぱな鳥類などを閣下に食べさした。どの司祭もみなごちそうの口実になった。司教はなすままにさしていた。それをほかにしては、彼のいつもの食物はほとんどゆでた野菜と油の汁とだけだった。それで町ではこんなことが言われた、「司教は司祭の御馳走をしない時には[#「司教は司祭の御馳走をしない時には」に傍点]、トラピストの御馳走をする[#「トラピストの御馳走をする」に傍点]。」([#ここから割り注]訳者注 トラピストは極端な質素簡易な生活を主義とするトラップ派の信者[#ここで割り注終わり])
 夕食後に彼はバティスティーヌ嬢やマグロアールとともに三十分ばかり話をし、それから室に引っ込んで、紙片や二折本の余白などに物を書いた。彼は文ができ、またいくらか学者だった。彼はかなり珍しい書き物を五つ六つ残した。なかんずく創世記の一節「元始に神の霊水の上に漂いたりき[#「元始に神の霊水の上に漂いたりき」に傍点]」という句についての論があった。彼はこの句に三つの原文を対照さした。アラビヤの文には、「神の風吹きたりき[#「神の風吹きたりき」に傍点]」とあり、フラヴィウス・ヨセフスによれば、「いと高きより風地上に落ちきたりたりき[#「いと高きより風地上に落ちきたりたりき」に傍点]」であり、終わりにオンケロスのカルデア語の説明によれば、「神よりきたれる風水の面に吹きたりき[#「神よりきたれる風水の面に吹きたりき」に傍点]」であるというのだった。も一つの論においては、本書の作者の曾祖伯父《おおおじ》であるプトレマイスの司教ユーゴーの神学上の著述を調べて、十八世紀にバルレークールという匿名で公にされた種々の小冊子はこの司教に帰せなければならない、ということを彼は確かめている。
 時としては、手にした書物が何であろうとその読書の最中に、彼は突然、深い瞑想に沈んだ。そしてその瞑想からさめると、いつも書物のページに数行したためるのであった。その数行は往々その書物に書いてあることと何の関係もないことがあった。ここに彼がある四折本の余白に書きつけた文句が一つある。その四折本の題はこういうのであった。「クリトン将軍[#「クリトン将軍」に傍点]、コルンワリス将軍[#「コルンワリス将軍」に傍点]、並びにアメリカ鎮守府の提督らとかわしたる[#「並びにアメリカ鎮守府の提督らとかわしたる」に傍点]、ゼルマン卿の書信[#「ゼルマン卿の書信」に傍点]。ヴェルサイユ[#「ヴェルサイユ」に傍点]、ポアンソー書店[#「ポアンソー書店」に傍点]、および[#「および」に傍点]、パリー[#「パリー」に傍点]、オーギュスタン河岸[#「オーギュスタン河岸」に傍点]、ピソー書店[#「ピソー書店」に傍点]、発行[#「発行」に傍点]。」
 彼の文は次のごときものである。
「おお汝《なんじ》はだれぞ!
 伝道書は汝を全能と呼び、マカベ書は汝を創造主と呼び、エベソ人《びと》に贈れる文《ふみ》は汝を自由と呼び、ベーラク書は汝を無限と呼び、詩篇《しへん》は汝を知恵および真理と呼び、ヨハネは汝を光と呼び、列王記は汝を主と呼び、出埃及記《しゅつエジプトき》は汝を天と呼び、レヴィ記は聖と、エズラ書は正義と、万物は神と、人は父と呼ぶ。しかれどもソロモンは汝を慈悲と呼ぶ。しかして、これこそ汝のあらゆる名のうちの
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