らである。
教会堂の戸に黒い喪の幕がかかっているのを見ると、彼はいつもそこにはいって行った。ちょうど人々が洗礼式をさがすように、彼は埋葬をさがした。また優しい心を持っていたので、寡婦暮《やもめぐら》しや他人の不幸に彼は心をひかれた。喪装の友だちや、黒布をまとった家族や、柩《ひつぎ》のまわりに悲しんでる牧師らに、彼はよく立ち交じった。他界の幻に満ちたあの葬礼の哀歌に、喜んで自分の考えをうち任してるようだった。目を天に向け、無限のあらゆる神秘に対する一種のあこがれの情をもって彼は、死の暗い深淵の縁に立って歌うそれらの悲しい声に耳を傾けた。
彼はたくさんの善行をなしたが、悪事を行なう時人が身を隠してするように、ひそかにそれをなした。彼は人知れず夕方多くの人家にはいり込み、そっとはしご段を上っていった。あわれな人が自分の屋根裏に帰って来ると、自分の不在中に戸が開かれてるのを見いだす。それも時としては無理にこじあけられてるのである。彼は叫ぶ、「ああどんな悪者がきたんだろう!」しかるに家にはいって最初に見出すところのものは、家具の上に置き忘れられてる金貨である。そこにやってきた「悪者」は、実にマドレーヌさんであった。
彼は慇懃《いんぎん》でまた悲しげなふうをしていた。人々は言った。「あの人こそは金持ちであっても傲慢《ごうまん》でなく、幸福であっても満足のふうをしていない。」
ある人々は、彼をもって不可思議な人物と見なし、決してだれもはいったことのない彼の室には、翼のついた砂時計が備えられ、十字に組み合わした脛骨《けいこつ》や死人の頭蓋骨《ずがいこつ》などが飾られていて、いかにも隠者の窖《あなぐら》のようだと言った。その噂は広く町にひろがって、ついにはモントルイュ・スュール・メールのりっぱな若い婦人で意地の悪い者が四、五人集まって、ある日彼の家を訪れて彼に願った。「市長さん、あなたのお室を見せて下さいな。世間では洞窟《どうくつ》だと言っていますから。」彼はほほえんで、即座にその「洞窟」へ彼女らを導いた。彼女らは好奇心のためにまったくばかを見た。普通ありふれたかなり粗末なマホガニー製の器具が簡単に並べられ十二スーの壁紙が張られてる室にすぎなかった。そして彼女らの目に止まったものとしてはただ、暖炉の上にある古い型の燭台二つだけで、「調べてみると」銀でできているらしかった。いかにも小さな町に住んでる者にふさわしい注意である。
それでもなお、彼の室にはだれもはいった者がなく、それは隠士の洞窟で、穴倉であり、穴であり、墓穴であるといわれていた。
また人々の陰での噂によると、彼は「莫大な」金をラフィット銀行に預けていて、いつでも自由にできるようになっているということだった。マドレーヌ氏はいつでもその銀行に行って受取証を書きさえすれば、十分とかからぬうちに二、三百万フランは持ち出すことができるということだった。けれども実際においては、上に述べたとおりその「二、三百万フラン」も六十三、四万フランになっていたのである。
四 喪服のマドレーヌ氏
一八二一年の初めに、諸新聞は「ビヤンヴニュ閣下[#「ビヤンヴニュ閣下」に傍点]と綽名《あだな》せられた」ディーニュの司教ミリエル氏の死を報じた。八十二歳をもって聖者のごとく永眠したというのであった。
新聞に書かれなかった一事をここにつけ加えておくが、ディーニュの司教はその生前数年来盲目であった、そして妹がそばにいてくれるので彼はその盲目に満足していたのだった。
ついでに言う。盲目にしてしかも愛せられているということは、何も完全なるもののないこの世においては、実に最も美妙な幸福の一である。自分の傍《かたわら》に絶えず一人の女が、一人の娘が、一人の妹が、一人のかわいい者がある。彼女を自分は必要とし、また彼女も自分なしには生きてゆけないのである。彼女が自分に必要であるごとく、自分もまた彼女になくてならない者であることを知る。彼女が自分の傍にいてくれる度数によって、彼女の愛情を絶えず計ることができる。そして自ら言う、彼女がその時間をすべて私にささげてくれるのは、私が彼女の心をすべて占領しているからだと。彼女の顔は見えないけれどもその考えを見る。世界がすべて自分の眼界から逸した中にただ一人彼女の忠実なことを認める。翼の音のような彼女の衣擦《きぬず》れの音を感ずる。彼女が行き、きたり、外出し、帰り、話をし、歌をうたうのを聞く。そして自分は、その歩み、その言葉、その歌の中心であることを思う。各瞬間ごとに、彼女が自分に心|牽《ひ》かれていることがわかる。身体が不具になればなるほどいっそう力強くなるのを感ずる。暗黒のうちに、また暗黒によって、自ら太陽となり、そのまわりにはこの天使が回転している。かくのごと
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