」まだ毒殺者カスタンがやって来る前のことで、テート・ノアールの茶屋で朝食をすまし、大池の側の五点形の輪遊び場で一勝負し、ディオゼーヌの塔に上り、セーヴル橋で菓子を賭《か》けて球《たま》ころがしをし、プュトウで花を摘み、ヌイイーで芦笛《あしぶえ》を買い、いたる所でリンゴ菓子を食い、そしてすてきに愉快だった。
若い女たちは、籠《かご》から出た小鳥のように騒ぎ回りさえずり回った。まったく夢中になっていた。時々男たちを軽くたたいた。人生の朝《あした》の酔いである! 愛すべき青春の年である! 蜻蛉《とんぼ》の翼は震える。おお、いかなる人にも覚えがあるはずである。藪《やぶ》の中を歩きながら、後《あと》について来る愛《いと》しい人の顔にかからないようにと木の枝を押し開いたことを。愛する女とともに、雨にぬれた坂道を笑いながらすべりおりたことを。その時女は君の手につかまって叫んだであろう、「ああ、ま新しの半靴なのに、こんなになってしまった!」
ところですぐに言ってしまえば、その愉快な邪魔物の夕立ちは、この上きげんな一行には降らなかった。ただしファヴォリットは出がけに、もっともらしい年長者らしい調子で、「蛞蝓《なめくじ》が道にはっている[#「が道にはっている」に傍点]、雨の降るしるしだわ[#「雨の降るしるしだわ」に傍点]、」と言ったのだったが。
四人とも非常にきれいであった。当時有名なクラシックの老詩人であり、一人のエレオノールを持っていた好人物である、ラブーイスの騎士という男が、その日サン・クルーのマロニエの木の下を逍遙《しょうよう》していると、朝の十時ごろ彼らが通るのを見かけた、そして三女神カリテスのことを思い出して叫んだ、「一人多すぎる[#「一人多すぎる」に傍点]。」ブラシュヴェルの情婦で二十三になる年増《としま》のファヴォリットは、緑の大きな枝下にかけ入り、溝《みぞ》を飛び越え、むやみに茂みをまたぎ、若い野の女神のようなはしゃぎ方で一行の浮かれ心を引き立てた。ゼフィーヌとダーリアとは、互いに相俟《あいま》ってその美しさを輝かし完《まっと》うする人がらだったので、友情からというよりもむしろ嬌艶《きょうえん》の本能から決して離れないで、互いに寄り合ってイギリスふうの態度を取っていた。イギリス年刊文学集が出だした頃のことで、後にバイロンふうが男を風靡《ふうび》したように憂鬱《ゆううつ》が女の流行となり初め、女性の髪は悲しげに装うことが初まっていた。ゼフィーヌとダーリアとは捲《ま》き髪であった。リストリエとファムイュとは教師らのことを論じ合って、デルヴァンクール氏とブロンドー氏との違いを、ファンティーヌに説明してきかしていた。
ブラシュヴェルは、ファヴォリットのテルノー製の片方縁飾りのショールを日曜日ごとに腕にかけて持ち歩くために、特に天より創《つく》られたかの観があった。
トロミエスは後《あと》に続いて、その一群を支配していた。彼は大変快活だった。しかしだれも何かしら彼のうちに皆を支配する力のあるのを感じていた。彼の陽気さのうちには執政権が含まれていた。その重な身の飾りは、南京木綿《なんきんもめん》で象脚形に仕立てたズボンと、それについてる銅色の打ちひものズボン止めであった。手には二百フランもする丈夫な籐《とう》の杖を持っていた。そしてどんなことでもやってみるつもりだったので、口には葉巻き煙草というへんてこなものをくわえていた。彼にとっては何もありがたいというものはなかったので、彼はそれを平気でくゆらしていた。
「トロミエスは実にえらい。」と他の者らは尊敬の言葉を発した。「あのズボンはどうだ! あの元気はどうだ!」
ファンティーヌに至っては見るも喜ばしい女であった。そのみごとな歯並びは明らかに神から一つの職分を、すなわち笑いを、授かっていた。長い白ひものついた麦藁《むぎわら》編みの小さな帽子を、頭に被《かぶ》るよりもむしろ好んで手に持っていた。そのふさふさした金髪は、ややもすれば波打って容易に解《ほど》けやすいので絶えず押さえ止めなければならなかった、そして柳の木の下を逃げてゆくガラテア姫にもふさわしく思われるのだった。その薔薇《ばら》色の脣《くちびる》は人を惑わす魅力をもってむだ口をきいていた。その口の両端は、エリゴーネの古代面におけるがように肉感的にもち上がっていて、男の元気を励ますように見えた。しかし影深い長い睫毛《まつげ》は、顔の下部のそのはなやかさの上に、それを静めるためででもあるかのようにしとやかに下がっていた。その全体の服装《みなり》は、歌うがごとく燃ゆるがごとく、何ともいえない美しさだった。葵《あおい》色の薄ものの長衣をつけ、海老茶《えびちゃ》色の小さな役者靴をはいていた。靴のリボンは、真っ白な繊《こま》かな透き靴足
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